古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
連休明けで園児が屋外で走り回る風景を期待していた。
しかし右側の広い運動場のほうには現れず、左側のテントの下の日陰にあつまって遊戯をしているようだ。
5月の紫外線が強いのを避けているらしい。
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