谷川健一「古代海人の世界」、柳田邦夫「海女史:あまべし」 などによる九州のアマベやアズミの世界を調べてみる。
「和名抄」に、九州の筑前の伊都郡、那珂郡、宗像郡にそれぞれ海部郷が記載されている。
吉田東伍の地名辞典によると、伊都郡は二丈深江の福吉村、那珂郡は今住吉村(現在の博多区住吉)、宗像郡は玄海町神湊に比定している。いずれも住吉神社や宗像神社のある場所である。
「和名抄」に、糟屋郡に安曇郷、志珂郷が記載されている。現在の福岡市東区、志賀島を含む地域と比定されている。志賀島の志賀海神社には、代々安曇氏が宮司となって、わたつみの神を祀っている。
万葉集巻16には、山上憶良の「志賀の白水郷の歌10首」は揚げられおり、その注書に、「大宰府が対馬に食料米を送るための船頭を、宗像郡の宗形部津麻呂を指名したが、高齢のため糟屋郡志賀村の荒雄に変更依頼をした」経緯が記載されている。
海人の社会はたえず交流があったことがわかる。
古代の海人は、1)航海を主体にして、魚をとらないもの。
2)地域の海で漁業をするもの。
3)海に背をむけて、農業を専門にするもの。
4)家船に居住し、海上で生活する漂海民。
などがいたが、歴史に登場するのは、1)航海民が主である。
志賀島には、万葉集の歌碑が10か所もたっている。
志賀島万葉歌碑地図 |
01.ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神 巻7・1230志賀海神社
02.志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすがの山と見つつ偲はむ 憶良 巻16・3862大崎鼻
03.志賀の白水郎の釣りし燭せるいさり火乃ほのかに妹を見無よしもか裳 巻12・3170志賀島漁港
04.志賀の浦に漁する海人明けくれば浦み漕ぐらしかじの音きこゆ 遣新羅 巻15・3664 潮見公園
05.大船に小船引きそへかづくとも志賀の荒雄にかづきあはめやも 憶良 巻16・3869休暇村
06.志賀のあまの塩やく煙風をいたみ立ちは昇らず山にたなびく 巻7・1246蒙古塚
07.かしふ江にたづ鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちしくらし毛 遣新羅 巻15・3654 志賀中学校
08.志賀の浦に いざりする海人 家人の 待ちこふらむに 明しつる魚 遣新羅 巻15・3653志賀島小学校
09.沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎たみて漕ぎ来と聞えこぬかも 憶良 巻16・3867国民宿舎跡
10.志賀の海人は藻刈り塩焼きいとまなみ髪梳の小櫛取りも見なくに 石川君子 巻3・278 中津宮下
わたしが今までに、安曇族関係をしらべた記事を、下記に列挙している。
西方浄土筑紫嶋: 安曇族の歴史(その一) (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
西方浄土筑紫嶋: 安曇族の歴史(その二) (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
西方浄土筑紫嶋: 安曇族の歴史: 宮地嶽神社と安曇族(改訂版) (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
西方浄土筑紫嶋: 安曇族 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
西方浄土筑紫嶋: 磐井の乱の全貌 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
西方浄土筑紫嶋: 筑紫舞 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)
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