福岡や佐賀には古賀姓の政治家や医者が多い。
昨日の玄海義塾では、1338年に古賀浦の地頭職になった少弐氏の子孫が、初めて古賀氏を名乗り、その後少弐氏と共に戦国時代を闘い、肥前国にのがれて、1559年ころ滅亡したという話をきいた。
大分市在住の医師古賀家に伝わる系図から判明したようだ。
古賀浦という場所は花鶴川の河口付近と考えられ、古代は鹿部山の麓まで大きく入り込んだ港であったが、平安、鎌倉までは、布津留、華津留、華鶴、花鶴と呼ばれていた。
古賀氏の墓や仏閣が現在の古賀地区に残っていないか、今後の調査が必要だ。
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