2023年4月10日月曜日

織田信長本人が作った墓所と全国の墓所

1) 遠景山摠見寺は、滋賀県近江八幡市の安土城跡にある臨済宗妙心寺派の寺院である。

天正4年(1576)安土城築城の際、織田信長が他所から移築し、安土城本丸の西の峰に自らの菩提寺としたといわれる。
本能寺の変の直後に天主が炎上した際は類焼を免れたが、安政元年(1854)火災により本堂などを焼失した。
その後昭和7年に大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺地を移し、現在至っている。仁王門(楼門)(重要文化財)は、棟木に「元亀二年(1571)七月甲賀武士山中俊好建立」と記されている。
門内の金剛力士像二体も重要文化財に指定されている。
摠見寺の楼門


三重塔(重要文化財)は、室町時代の建物で天正年間に織田信長が甲賀の長寿寺(甲賀市石部町)から移建したものといわれる。
三重塔

信長は無神論者のイメージがあるが、桶狭間の戦では、熱田神宮の草薙剣に祈って出陣し、奈良の石上神宮の剣を2年間手元においていた記録もある。
キリスト教宣教師にフロイスは、「信長は神、仏のいっさいの礼拝、尊崇、異教徒的な占卜、迷信的な習慣の軽蔑者であった。」と記録している。
最近の研究では、信長が安土城に移した仏閣は、仏教を超える神を祀るものと考えられていたようだ。




自己を示す石を、佛舎利のある三重塔より高い場所にある本堂の二階の見える場所に置いていたという記録が存在している。

信長の神の石も祀った本堂の想定図

安土城は石造りの山城であり、神の石を自分の象徴とした信長の意思が表れている。

安土城の上り石段


2)現存する織田信長の墓所一覧




これだけの墓所があれば、ご子孫も墓参りが大変であろう。
本能寺京都市中京区信長所蔵の太刀が納められている
阿弥陀寺京都市上京区清玉上人が集めたとされる遺骨があると伝わる
大徳寺総見院京都市北区秀吉が造立。木造を焼いた灰が納められている。帰蝶(濃姫)やお鍋の方の墓もある
大雲院京都市東山区信忠の菩提寺。信長、信孝の墓石がある
妙心寺玉鳳院京都市右京区信長乳母養徳院の菩提寺や、滝川一益の墓もある
建仁寺本坊京都市東山区供養塔がある
今宮神社京都市北区旧阿弥陀寺にあった祠を移す
建勲神社京都市北区信長を祭神として東京の織田子爵家邸内に建てられたが、明治13年に遷座
聖隣寺京都府亀岡市信長の子で、秀吉の養子となった秀勝が建立
高野山金剛峯寺和歌山県高野町明智光秀・豊臣秀吉などの墓もある
西光寺滋賀県近江八幡市元は安土城下に所在したが、豊臣秀次が近江八幡城を築城した際に移築
(安土城内)総見寺滋賀県蒲生郡安土町信長の一周忌に秀吉によってつくられた廟所
南宋寺大阪府堺市徳川家康・千利休の墓もある
崇福寺岐阜県長良町お鍋の方が信長・信忠の遺品を埋めたとされる
総見寺名古屋市中区清洲会議によって尾張を所領とした織田信雄が父を弔う為に建立、江戸期に名古屋に移転
総見院愛知県清洲町供養塔がある
長興時愛知県豊田市一周忌に描かれた信長の肖像画と位牌がある
織田剱神社福井県織田町織田家が神官を勤めた神社
泰厳寺熊本県八代市細川忠興が丹後の宮津に建立し江戸期に移転
瑞龍寺富山県高岡市前田家の菩提寺で前田利家と並んで信長・信忠父子の供養塔がある
本門寺静岡県芝川町本能寺の変の際に信長の首が密かに持ち出され、この寺の柊の木の下に埋められたという伝説がある

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