神宿る沖ノ島の信仰を、九大に留学中の女子研究者がしらべていることがテレビで紹介された。
彼女は沖ノ島信仰は一度途絶えたように考えているが、西谷先生は漁民により受け継がれたと説明していた。
国や権力者による信仰が宗像氏貞の死により途絶えたとはいえない。
江戸時代の黒田藩では、宗像宮に社領50石を寄進し、光之の時代に荒廃した社殿の再興をおこなった。さらに「沖ノ島番役」をおき、この御番を勤めた一人青柳種信は、在嶋4ケ月、「防人日記(沖ノ島日記)」に沖ノ島の実情を詳しく書いて、島の実情が世に知られるようになった。また「宗像宮略記」も書いている。
また図のように江戸時代中期に社殿も増設されている。
0 件のコメント:
コメントを投稿