2022年8月30日火曜日

隔離病棟のレポート 内海信彦

  暗闇の隔離病棟には、絶え間なくさまざまな絞り出すようなうめき声と、唸り声、ため息、止まらないしゃっくり、便意を訴える声が聴こえています。皆、魂から絞り出される声です。命に関わる魂の絞り出すような小さな叫びです。この叫びのひとつひとつに込められているおじいさん、おばあさんの魂が、深夜の暗闇にある隔離病棟の中を駆け巡っています。看護師さんは、機械的にお仕事をされているのではなく、その魂の絞り出すような小さな声だけを頼りに、命と魂と意識の在り方を探究して守っておられるのです。

 今、看護師さんがマグライトで回診に見えました。小さな声で「大丈夫ですか?」とエンジェルに尋ねられて「はい、大丈夫です。ちょっと書きものをしているので」と答える私ですが、深夜、バックライトを落として何やら書いている私が、一番心配をかけているかもしれません。
 昼間の看護師さん方も同じです。看護師の皆さん方は若い方ばかりです。お医者さんも若い先生ばかりです。この社会が若い方たちに対して向けている眼差しでは、到底、この隔離病棟で格闘する若い看護師さんやお医者さんの想いを視ることはできません。昼夜問わず、暗闇の中に在る、隔離病棟の看護師さんとお医者さんたちには、本当に敬服させられています。一日中、心から温かくしていただき、さり気ない言葉に魂を揺さぶられるのです。
 死の淵にある方が少なくない隔離病棟に入っているお年寄りは、看護師さん地には、だいたいぶっきらぼうで、ため口で、ありがとうも言いませんし、ちょっとなあと思うこともあります。でも看護師さんたちは、見せかけの愛想や、マニュアル通りの優しさの演劇などしていません。すべて本気なのです。皮相な見方しかできない人が多い日本社会で、隔離病棟の暗闇で、どんなことにも即座に対応し、自主的にてきぱきと実践する看護師さんたちをマニュアルに従っているとしか思えない人もいるでしょうが、全く違います。
 この日本社会が学ばなければならないのは、暗闇の中で苦闘していながらも、向こう側にいつ発ってもおかしくないお年寄りの命に寄り添い、魂の絞り出すような小さな叫びに心を寄せる若い看護師さんたちの真実だと思うのです。寺院や、教会や、モスクに必ず伴われていた日常に中に在る祈りです。人類史は祈りによって成り立つ宗教の歴史です。

 医療の場に祈りが無いわけがありません。隔離病棟には沈黙する祈りがあります。祈ることを笑うものたちは、死の淵に際して何を想い、何を遺すのでしょう。資産や預金や土地など隔離病棟には持ち込めません。彼方に持って行くことなどあり得ないのです。言葉にして遺す、形にして伝える、音として伝承する、死の淵に際して最も必要な宗教と芸術が不在なのです。
 現実に存在する宗教と芸術は、壺を売り、聖典を買わせるカルト組織を嘲ることができるでしょうか。医療の場、終末の場、葬送の場に在る視えない祈りを言葉や形、音で表現する創造力と想像性の欠如が、欠如の想像を妨げています。

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