2022年12月11日日曜日

「言葉で戦った男たち」(戦争と言葉)

 日米戦争は武器だけはない。言葉も武器である。

アメリカは日本語情報士官の教育をした。

この教育をうけた士官たちは、ボルダー・ボーイズと呼ばれた。

彼らは戦後日本に残り、日本文化の研究者になったり、翻訳者となったりした。

その中で一番有名な人物は、ロナルド・キーン氏である。

最後は日本に帰化し、日本人として、日本でなくなった。


川端康成などの小説を英語に翻訳し、その成果で彼をノーベル賞作家にしたのは、エドワード・サイデンステッカー氏である。


川端は、彼の名訳のお陰と感謝し、彼をノーベル賞の受賞式に招待して、翌日の講演会で講演をしてもらっている。


彼は川端の死後も日本にとどまっていたが、上野の不忍の池を散歩中に倒れて亡くなった。


終戦後の日本人子供の小学校を作り、日本語や英語の教育を

テニアンキャンプで行ったのが、テレファームック氏であった。教え子たちは平成3年に恩師を招待して、旧交をあたためたという。



戦後GHQを退官したあと、同志社大学の教授をしながら2006年になくなったオーテス‣ケーリもいた。

戦前日本人も、東亜各国の文化に共鳴して貢献した人物がいたが、その国に帰化した人物はいただろうか。



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