日米戦争は武器だけはない。言葉も武器である。
アメリカは日本語情報士官の教育をした。
この教育をうけた士官たちは、ボルダー・ボーイズと呼ばれた。
彼らは戦後日本に残り、日本文化の研究者になったり、翻訳者となったりした。
その中で一番有名な人物は、ロナルド・キーン氏である。
最後は日本に帰化し、日本人として、日本でなくなった。
川端康成などの小説を英語に翻訳し、その成果で彼をノーベル賞作家にしたのは、エドワード・サイデンステッカー氏である。
川端は、彼の名訳のお陰と感謝し、彼をノーベル賞の受賞式に招待して、翌日の講演会で講演をしてもらっている。
彼は川端の死後も日本にとどまっていたが、上野の不忍の池を散歩中に倒れて亡くなった。
テニアンキャンプで行ったのが、テレファームック氏であった。教え子たちは平成3年に恩師を招待して、旧交をあたためたという。
戦後GHQを退官したあと、同志社大学の教授をしながら2006年になくなったオーテス‣ケーリもいた。
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