古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
橋口町の旅館 旅順屋
小学生1年生位のころ、母親に連れられてこの旅館に遊びに行った記憶がかすかに残っている。
3階建ての高い建物に驚いたのがその原因だ。母の親類の家であった。
福岡の古ハガキの中の写真でみつけて、昔の記憶が蘇ってきた。
水鏡天満宮の近くだったことだけ覚えている。
小学校4年の時の同級生新野君がこの近くに住んでいた。
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