2023年12月23日土曜日

黒田斉清:博物大名

 黒田藩8代の藩主、斉は蘭学本草学に詳しく、富山藩主・前田利保とともに博物大名として知られた。特に鳥類に強い関心を抱き、幼少のときからアヒルを飼育したという。

江戸時代の「愛物産」番付け表には、東大関の富山藩主「致知春館」前田利家に対して、西大関に筑前藩主「楽善堂」黒田斉が選ばれている。

著書に『鵞経がきょう』、『鴨経おうきょう』、『駿遠信濃卉葉鑑』などがある他、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』の補訂書である『本草啓蒙補遺』を残した。のち子孫に鳥類学者を出すなど、黒田家歴代当主の鳥好きの先鞭を付けたといえる。

文政2年(1819年)、蘭学者で藩士の安部龍平を直礼城代組に抜擢し、長崎詰役とした。文政5年(1822年)、斉清は若年ながら眼病を患い、薩摩藩主・島津重豪の九男・斉溥(後の長溥)を娘・純姫と婚姻させ、婿養子という形で迎え養嗣子とした。

文政10年(1827年)、安部龍平の蘭学の師である志筑忠雄が口述訳した「二国会盟録」を提出させる。

文政11年(1828年)、長崎に派遣された藩兵を視察した際にオランダ商館を訪問し、商館の附属医であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトに、薬学から動植物・世界地理・文化風習など広く本草学分野に関して対話した。

シーボルトは斉清に対して、本来は医師などが行えばよい博物学を藩公が自ら学ぶ意義について質問したところ、斉清は「外国ノ形勢、風俗ノ淑慝、人類ノ強弱、法政、蕃育ノ得失、奇品異類ノ形状」を知ることで国防に役立てようとしている、と答えている。

これらの問答を龍平に編集させ、『下問雑戴』にまとめさせた。さらに、シーボルトに礼として、参勤交代の途中で蒐集した押し葉標本を与え、この標本はライデンの国立ハーバリウムに収蔵されている。

また、福岡市美術館には斉清筆と伝わる、原寸大の「鵞鳥図」が所蔵されている。また、藩の御用絵師、尾形洞谷に命じて藩祖の黒田如水縁の家臣団、黒田二十四騎図を新たに作成している。

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