東洋陶器(現在のTOTO)の衛生陶器は、いまや世界的に有名なっている。
戦時中に私が工場見学した頃は、家庭用の食器や、遺骨壺も多く生産されていた。
家内の弟がTOTOを就職希望先候補にあげたとき、家内は「便器の会社など辞めときなさい」ととめたという。古い人間の印象だった。
北九州に本社を構えたのは陶磁器の原材料とエネルギー、技術の関係からだった。この原料となる粘土に適した土は熊本県の本渡のもの。焼き上げるときの火力として、筑豊炭田の石炭を利用していた。さらに、八幡製鉄所から排出される鉄の屑が耐火材として利用できた。加えて、輸出の際に便利な港に恵まれていた。
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