2023年12月31日日曜日

伊野天照皇大神宮

 伊野天照皇大神宮の由来

九州の伊勢と呼ばれ、神殿や建物の配置も伊勢を模した久山町の伊野天照皇大神宮。






 

当宮は正式には「天照皇大神宮」と称しますが、一般には「伊野皇大神宮」の名で親しまれています。また地名は明治以後「猪野」に固定しましたが、それ以前は「伊野」の地名でした。

この猪野の里に天照皇大神宮が鎮座しますに至った由来は、かならずしも定かではありません。

 その一説は、仲哀天皇・神功皇后の香椎御臨幸の時、皇后が近くの山上で撞賢木(つきさかき)厳御魂(いずのみたま)すなわち天照大神に神託を請われ、見事に遠征の目的を達成されたという有名な話が「日本書紀」にありますが、その山上とは神路山、所緑の地としてその麓を伊(猪)野の語源となった斎野(いみの)と称し、ここに天照大神の分霊を勧請したとするものです。

戦国時代、伊野が大友氏の支配下にあったころ、立花城主戸次艦連、後の立花道雪が、当時の那珂郡高宮村の内三十四町の田地を社領として皇大神宮に寄附した文書があったという記録があります。宛て書は伊野大神宮とされていましたが、そのころともなれば、当皇大神宮とされていましたが、当皇第神宮の霊験が広く人びとに知られていたことと思われます。


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