2016年6月10日金曜日

対話型コンピュータの歴史

私の世代がコンピュータと出逢ったのは、パンチカードの時代であった。
対話型の構想は1945のMemexから始まった。
Memory Extender
具体的には1963年、MITのサザランドの博士号研究によるスケッチパッドのかたちではじまる。
これは、さらにCADの分野にまで発達する。
入力装置としては、ライトペンが用いられた。
当時のCPU性能やメモリーは、現在からみると貧素なものだった。

1968年にスタンフォード(SRI)のエンゲルバートにより、NLSの構想が提案された。これにはマウスの発明があり、ライトペンより手による操作の負担が軽減された。

当時は右手でマウス、左手でいくつかの操作スイッチを処理する必要があった。

(丁度この1968年に筆者はSRIを見学したのだが、この先端的構想などの話などは全く知らされなかった。対応されたブレイク博士もご存知なかったのだろう。この年は、スチーブ・ジョブズは13歳で、シリコンバレーのヒューレット・パッカード社のアルバイトでカウンターをつくり、ビル・ゲイツも13歳で、三目並べの簡単なプログラムをはじめて書いたという。)

その後現在では、指一本のタッチパネルで、すべての対話がすむようになり、音声でも入力できるようになっている。

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