古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
令和の年を迎えるにあたって、手持ちの大宰府の資料を整理した。令和ゆかりの坂本八幡宮は小さな社で今まであまり知られていなかったが、昔の案内図には、ちゃんと記載されていた。大勢観光客が押しかけるはずだ。ブームが過ぎたころには一度お参りしよう。今までは政庁跡の東側の月山東官衛跡が梅花の宴の場所と聞いていたが、西北に変わってしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿