2021年4月13日火曜日

明治新政府の鉄道建設

 今週はNHKで明治新政府が鉄道建設を推進した歴史番組が二つあった。

推進派は大隈重信と伊藤博文、技術官僚の井上勝で、富国強兵の一番手の事業で、新政府の姿を国民に知らしめるという説。
反対派は西郷隆盛、大久保利通で、多大な資金の捻出が困難で早計に失するという説。
資金調達には大隈・伊藤が活躍し、英国の金融業者と仮契約をしたが、その問題点をアメリカから知らされて解約。その後英国の駐日公使ハリー・パークスとの折衝で、資金や技術援助を受けられるようになった。
明治2年に新橋・横浜間の路線建設をきめたが、薩摩藩邸などが立ち退き反対をしたため、路線の半分近くは海上(遠浅)に堤防を築いて走ることにした。井上勝が鉱山頭兼鉄道頭に就任して建設に携わった。
鉄道は明治5年9月12日(1872年10月14日)に、新橋駅 - 横浜駅間で正式開業したが、実際にはその数か月前から品川駅 - 横浜駅間で仮営業が行われていた。
試乗した大久保利通は、もう反対意見を出せなかった。
鉄道は大評判となり、開業翌年には大幅な利益を計上した。

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