古賀市谷山の船原古墳横の馬具埋納坑を見学にいき、現地説明をききました。その見学者を吉住市議がとられた写真に、わが夫婦もはいっていました。
吉住市議からも発掘の経緯を詳しく説明してもらいました。
その後の古墳調査の進展:
1「前方後円墳”船原古墳”」の調査
①平成7年 小山田・谷山の境界の丘陵上で、農地改良の造成中に、ブルドーザーが横穴式石室の天井石を破壊して古墳の存在がわかる。
② 平成8年 発掘調査で2号墳・3号墳いずれも円墳と認識する。1号墳は県道工事で消滅(未調査のため詳細不明)
③ 平成25年3月 隣接農地のほ場整備のための事前調査終了直前で遺物を埋納した土坑が発見される。
④ 平成28年 墳丘再調査の結果、古賀市で初めての前方後円墳を確認する。
⑤ 平成28年10月 古賀市で初めて92史跡に指定される。
2 船原古墳の価値
① 古賀市内で初めて確認された前方後円墳である。
② 全国で初めて、古墳の外に宝物を埋納した土坑が見つかった。
③ 全国で初めてや数例目の貴重な馬具がたくさん出てきた。(これはもっと増える可能性あり)
④ 未盗掘で完全なセットで馬具が出土している。
⑤ 有機物などが付着したまま出土していて、その材質などが検出できる。
⑥ CTスキャンやX線撮影など最新技術を用いた調査・研究が行われている。
⑦ 調査の進展で、また新しい発見がありうる。
玄室(「船原古墳の世界」展示パネルから)
盗掘されていた石室に残されていたもの。
右側のマッチ棒(マラカス形)のようなものは、いまのところ用途不明。
土抗の調査については、別のブログに記録している。
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