2021年4月14日水曜日

岩屋城の高橋家の盛衰

 

高橋氏遺族により建てられた石碑
岩屋城跡には、小学生のころの遠足でのぼり、その後も何回か訪れた。

昨日午前中そぴあ新宮で道雪会の主催で、「落城」(1998年:TNC作品:高橋紹運の嗚呼壮烈岩屋城玉砕の物語)の映画をみた。

60分で、著名な俳優もなく、付近の山城や神社、仏閣、史跡の紹介もある作品。

島津軍により、大宰府、博多の街が焼かれ、箱崎や香椎も焼かれ、最後は高橋家の玉砕、自刃でおわる。

高橋家はこの玉砕だけが有名だが、そのルーツは原田家で、大刀洗一帯を領有していた。戦国初期に大友派と大内派に分裂し、島津が北上してきた時期は、香春城の高橋元種は島津につき、岩屋城の高橋紹運は島津に反抗して滅んだ。
元種は秀吉に降伏後、島津攻めで働き、日向の延岡に入封したが、江戸初期には幕府の咎人となって、奥州棚倉に預けられた。
当時の棚倉1万石の城主は、柳川復帰前の立花宗成であった。宗成は元種の赦免に奔走したが、翌年元種は棚倉の地で没したという。
この物語を組み込めば宗成の面白いドラマが出来そうだ。
岩屋城より大宰府政庁跡を望む



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