2021年4月4日日曜日

聖徳太子1400回忌

 飛鳥時代に仏教を中心とした国造りを進め、和の精神を説いた聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのおうじ)の1400回忌法要が3日、奈良の世界遺産・法隆寺で始まった。


聖徳太子「日本仏教の祖」
      聖徳太子の没年は「日本書紀」では西暦621年又は622年とされ、今年はまさにその「御聖忌1400年」にあたる。聖徳太子は文字通り今日の日本の礎を築かれ、全ての日本人の尊崇の的にある、「冠位十二階」や「十七条憲法」など国の建国の基本を制定された上で、「和を以て尊しと為す」(憲法第一条)とする人々への精神規律をも示された。
      前後して大陸から仏教が入ってきた。仏教と古来大和の自然文化を合わせ呑み日本国の精神文化として融合融和を果たされたのが聖徳太子その人であった。仏教にはさまざまな流れがあり関わった指導者は区々に存在したが、夫々が聖徳太子の庇護を感じながら自らの流派の伸張に務めた。天台の最澄、真言の空海、法華の日蓮、浄土の法然、親鸞ら、いずれも遂には自らを「聖徳太子の生まれ変わり」と自称、他称したと言われるところに、太子の際立った偉大さが見て取れる。太子こそ「日本仏教の祖」と称される所以(ゆえん)のものである。

 「日本仏教の祖」とも呼ばれる太子の生涯には二つの説ある。
574生まれで、621年2月5日没説(日本書紀)と622年2月22日没説(法隆寺の3種の銘)である。学会では日本書紀の編纂ミスとされているが、2021年に1400回忌法要が実施される。
 法隆寺では毎年新暦の3月に命日の法要「お会式(えしき)」を営み、10年に1度、大講堂の前に舞台を設けて大きな法要をしているが、100年に1度は特に大規模な法要となる。

100年前の大正時代の1300回忌は、新しい1万円札の顔となる実業家の渋沢栄一が尽力し、国を挙げての法要だった。  今年の2021年は、新型コロナ対策として、招待者の席の間隔を空け、参拝者の状況によっては西院伽藍への入場を制限し、4月、4、5日の両日に法要を営み、5日は法要を終えたあと行列をくみ、東院伽藍に太子像などを戻す。
そのあと特別展も開かれる。

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