2021年4月19日月曜日

常盤館(水茶屋)

 博多の路面電車で、千代町の次に水茶屋という電停があった。

このあたりは、石堂川沿いに博多検番の料亭がならんでたっていた。

その電車通りの電停前に、一番大きな常盤館があった。



私が戦時中の旧制福岡中学時代には、登校時は千代町から学校までは徒歩で通学する決まりであったが、帰路は自由なので、水茶屋のまえの通路をとおり、家のなかから聞こえてくる三味線の音を味わいながら、下校したものだ。

昔は博多商人の社交場であったが、当時は戦時中の軍事成金や、高級軍人にの出入りが多かったようだ。

戦後、昭和25,6年頃、社会人となって間もないころ、業界の会合に、部長のかばん持ちででかけた。当時は炭鉱ブームで、炭坑用電機品の安全性に関する会合で、通産省、炭坑技術者、電機品の技術者などのあつまりであった。

まだ天神地区は丸焼けで、会合の場所がなく、常盤館が会議場所であった。

私がここに這入ったのは、この時が最初で、最後である。

2階の大広間に、テーブルと椅子が並べられ、20人位の集まりであった。

幕末には、高杉晋作なども出入りした場所とは、当時は全く知らなかった。

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