2021年10月29日金曜日

天体物理学者ジョスリン・ベル・バーネル


 昨日のNHKで、失われたノーベル賞(女性天文学者とパルサーの謎)という番組をみた。

50年前にパルサーを発見した天体物理学者ジョスリン・ベル・バーネル(Jocelyn Bell Burnell)が、300万ドル(約3億3000万円)という高額の賞金で知られるブレイクスルー賞を受賞した。(2018年)

パルサーとは、高速で自転しながら電磁波を放射するコンパクトな天体(中性子星)で、彼女はその発見者でありながら、女性ゆえにノーベル賞を受賞できなかったといわれてきた。

ブレイクスルー賞選考委員会は、75歳になったベル・バーネルの科学的業績と、この50年間の「人々を鼓舞するリーダーシップ」をたたえて、基礎物理学ブレイクスルー賞の特別賞を贈った。



略歴:「Wik)

ベル・バーナルが初めてパルサーの信号を発見したデータ(ケンブリッジ大学図書館の展示)

彼女は北アイルランドベルファストで建築家の娘として生まれた。

1965年グラスゴー大学理学士。1967年にケンブリッジ大学大学院生時代にヒューイッシュらとクエーサーの観測するための電波望遠鏡の観測データのなかに非常に早く規則的に変化する電波信号を見つけた。天文学的には異常に短い周期である電波の、宇宙人からの通信ではないかとも思われた電波源には「緑の小人 (Little Green Man)」を意味する「LGM-1」(現・PSR B1919+21)の名が与えられたが、後に高速で回転する中性子星「CP 1919」が電波源であることがわかった。

パルサー発見の論文は5人による共著で、ヒューイッシュが最初でベルが2番目だった。ヒューイッシュはマーティン・ライルとノーベル物理学賞を共同受賞したが、パルサーの信号に最初に気づいたベルは受賞できなかった。選から漏れたことに対して、フレッド・ホイル を含む多くの天文学者が異議を唱えた。

なお、ライルとヒューイッシュの1974年度ノーベル物理学賞の受賞理由としてスウェーデン王立科学アカデミーは「電波天体物理学の先駆的研究」を挙げ、ライルに関しては「開口合成技術の開発」、ヒューイッシュに関しては「パルサーの発見における決定的役割」としている。

その後1969年にケンブリッジ大学でPh.D.を取得し、サザンプトン大学指導教員(1970年 - 1973年)、ロンドン大学ムラード宇宙科学研究所研究員(1974年 - 1982年)、エディンバラ王立天文台英語版研究員(1982年 - 1991年)、オープン大学物理学講座教授(1991年 - 2001年)、プリンストン大学客員教授バース大学理学部長 兼 教授(2001年 - 2004年)を務めた。

2002年から2004年までイギリス天文学会会長、2008年から2010年まで英国物理学会会長を歴任、2011年初めには後任のマーシャル・ストーンハム英語版会長の急死を受け会長代行を務める。現在はオックスフォード大学客員教授 兼 マンスフィールド・カレッジフェローを務める。2003年王立協会フェロー選出。

ブレイクスルー財団より2018年の基礎物理学ブレイクスルー賞特別賞の授与が伝わると、ベル・バーネルは賞金230 万ポンドは全額を寄付し、女性や少数民族、難民の学生が物理学研究者になる道を開くよう、基金を設立して管理は英国物理学会の部署(英語)に託すと発表した。現在、「ベル・バーネル大学院奨学金基金」として運用されている

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