昨日のNHKで、失われたノーベル賞(女性天文学者とパルサーの謎)という番組をみた。
50年前にパルサーを発見した天体物理学者ジョスリン・ベル・バーネル(Jocelyn Bell Burnell)が、300万ドル(約3億3000万円)という高額の賞金で知られるブレイクスルー賞を受賞した。(2018年)
パルサーとは、高速で自転しながら電磁波を放射するコンパクトな天体(中性子星)で、彼女はその発見者でありながら、女性ゆえにノーベル賞を受賞できなかったといわれてきた。
ブレイクスルー賞選考委員会は、75歳になったベル・バーネルの科学的業績と、この50年間の「人々を鼓舞するリーダーシップ」をたたえて、基礎物理学ブレイクスルー賞の特別賞を贈った。
略歴:「Wik)
彼女は北アイルランドのベルファストで建築家の娘として生まれた。
1965年グラスゴー大学理学士。1967年にケンブリッジ大学大学院生時代にヒューイッシュらとクエーサーの観測するための電波望遠鏡の観測データのなかに非常に早く規則的に変化する電波信号を見つけた。天文学的には異常に短い周期である電波の、宇宙人からの通信ではないかとも思われた電波源には「緑の小人 (Little Green Man)」を意味する「LGM-1」(現・PSR B1919+21)の名が与えられたが、後に高速で回転する中性子星「CP 1919」が電波源であることがわかった。
パルサー発見の論文は5人による共著で、ヒューイッシュが最初でベルが2番目だった。ヒューイッシュはマーティン・ライルとノーベル物理学賞を共同受賞したが、パルサーの信号に最初に気づいたベルは受賞できなかった。選から漏れたことに対して、フレッド・ホイル を含む多くの天文学者が異議を唱えた。
なお、ライルとヒューイッシュの1974年度ノーベル物理学賞の受賞理由としてスウェーデン王立科学アカデミーは「電波天体物理学の先駆的研究」を挙げ、ライルに関しては「開口合成技術の開発」、ヒューイッシュに関しては「パルサーの発見における決定的役割」としている。
その後1969年にケンブリッジ大学でPh.D.を取得し、サザンプトン大学指導教員(1970年 - 1973年)、ロンドン大学ムラード宇宙科学研究所研究員(1974年 - 1982年)、エディンバラ王立天文台研究員(1982年 - 1991年)、オープン大学物理学講座教授(1991年 - 2001年)、プリンストン大学客員教授、バース大学理学部長 兼 教授(2001年 - 2004年)を務めた。
2002年から2004年までイギリス天文学会会長、2008年から2010年まで英国物理学会会長を歴任、2011年初めには後任のマーシャル・ストーンハム会長の急死を受け会長代行を務める。現在はオックスフォード大学客員教授 兼 マンスフィールド・カレッジフェローを務める。2003年王立協会フェロー選出。
ブレイクスルー財団より2018年の基礎物理学ブレイクスルー賞特別賞の授与が伝わると、ベル・バーネルは賞金230 万ポンドは全額を寄付し、女性や少数民族、難民の学生が物理学研究者になる道を開くよう、基金を設立して管理は英国物理学会の部署(英語)に託すと発表した。現在、「ベル・バーネル大学院奨学金基金」として運用されている。
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