2021年10月13日水曜日

「福・岡のつく都道府県」

「福のつく都道府県」と言われたら、 福島県、福井県、福岡県。

「岡のつく都道府県」と言われたら、静岡県、岡山県、福岡県。

福島県:

明治9年に、当時の若松県、磐前(いわさき)県、福島県が合併して、現在とほぼ同じ姿の福島県が誕生した。

 「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取ったものだが、文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清によって、福島城として使われたのが初めてだといわれている。
 なお、詳細な由来は不明とされている。

福井県:
福井の地は旧称を「北ノ庄」といったが、寛永元年(1624年)、福井藩第三代藩主の松平忠昌氏が「北」は「敗北」に通じるとして嫌い、縁起の良い名前にと「福の居る場所」という意味で「北ノ庄城」を「福居城」と改め、元禄年間後期、現在の「福井」と改められた。
地名の語源は、よくが湧き出るところの意味で「脹井(ふくヰ)」であろう。

福岡県:
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦において、黒田長政は、徳川家康率いる東軍の勝利に貢献したとして、筑前国を与えられ入国した。
当初、前領主(小早川秀秋)の名島城(現在の福岡市東区)を居城としたが、城下が手狭なことなどから7年の歳月をかけて新たな地(現在の福岡市中央区)に城を築いた。
完成した城は、黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って福岡城と名付けた。

静岡県:
府中という地名はたとえば駿河府中、甲斐府中のように特定の地名を表すと言うよりも、むしろ地方の拠点をあらわす名称で、全国に多い名だ。明治2年、新政府はこのまぎらわしい名称を避けるため、駿府藩に対して府中という地名の変更を命じた。
藩内で検討した結果、「静、静城、静岡」の3つを考案し、政府に報告したが、このうち「静岡」が採用され、6月の家達の藩知事任命の際、初めて使用された。
なお、「シズオカ」の「シズ」は賤機山に由来すると言われている。

岡山県:
岡山とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。

福岡県:
福岡県の「福岡」は、岡山県内にある福岡という場所から付けられた。瀬戸内市長船町の中の大字福岡という場所である。瀬戸内市は岡山市の中心市街地からおよそ車で50分ほどで、岡山市のベットタウンでもあり、農業や漁業なども盛んな場所だ。
実はここには、中世…つまり鎌倉時代から戦国、安土桃山時代にかけて、山陽道で随一の賑わいだった定期市があったそうだ。



室町時代の終わりの1511年、近江国(滋賀県)に住んでいた黒田高政はその時の10代将軍・足利義植(よしたね)の怒りを買って領地を失う。そこで一族をたよって、ここ岡山の福岡に4歳の息子の黒田重隆を連れて流れてきたそうだ。黒田高政が亡くなった翌年、重隆に長男の黒田職隆(もとたか)が生まれる。重隆はそれから数年後、職隆を連れて隣の播磨の国(現在の兵庫県)の姫路へ移り住む。そこで重隆は目薬を売る商売を始めて大ヒットし、地元の有力者になっていった。職隆は戦国武将の小寺政職に仕え、姫路城代(姫路城を守る役割)に出世する。そして1546年、職隆に嫡男、官兵衛が誕生する。
その後、官兵衛とその子長政の活躍で、筑前52万石の大名に出世するのは周知のとうりである。
そして、居城の地区の旧名「福浜」を、黒田家ゆかりの地の「福岡」の名に変え、福岡城とた。
明治になり、市名も福岡、博多のどちらかにする市会議員の投票で、1票差で福岡にきまった。

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