2021年10月1日金曜日

『モーツァルトの死』

 『モーツァルトの死』



『モーツァルトの死』には、いろんな説がある。松本清張はウイーンまで調査にでかけ、文献や墓場の場所などしらべたが、不明であったという。


清張の講演を聞いた内容と、鷹浜仁流のブログ(知らないほうが良かった都市伝説)に良く似ているので、ブログのコピーを以下に示す。



モーツァルトの死因ですが、もちろんドッペルゲンガーに会ったから死んだわけではありません。


彼の死にはちゃんと理由があります。

ウィーン市の公式記録には急性粟粒疹熱

とありますが、梅毒だったともリューマチ性の炎症熱だったともいわれています。


しかし、モーツァルトは、発病前に妻のコンスタンツェに毒を盛られたと告白しています。

また、そのことを手紙にも書き残しています。


では、いったい誰がモーツァルトを毒殺したのでしょう…。


音楽家サリエリがモーツァルトを毒殺したという説が有名です。


サリエリは音楽的にモーツァルトと対立していました。

彼の音楽的才能に嫉妬していました。

この話は、

『アマデウス』

という映画でも描かれていますし、殺害された当時もその噂は絶えなかったといいます。

しかし、これも事実ではありません。

真犯人は別にいます。


その謎を解く鍵は、モーツァルトが晩年に発表した歌劇

『魔笛』

にあります。


『魔笛』は、一人の王子が様々な試練を乗り越えてお姫様を救い出す物語です。

しかし、その細部を見ていくと…

試練の儀式、

異教の神、

など、あるものがモチーフになっています…


それは…


フリーメーソンの儀式です。

『魔笛』にはいろんなところにフリーメーソンに関係する設定やシーンを見つかります。


試練の儀式において、僧侶に沈黙を誓わされ握手するシーンは…

フリーメーソンに入社する際の儀式と全く同じなのです…。


モーツァルトは熱心なフリーメーソンの一員で、自分で新しいロッジ(支部)を作ろうとさえしていました。


当時、フリーメーソンは冬の時代で、フランス革命がフリーメーソンを中心に行われたことにより、欧州各国では貴族たちによって大規模なフリーメーソンの弾圧が始まろうとしていました。


モーツァルトはフリーメーソンの素晴らしさを観客に伝えようとしていたのかもしれません。


しかし、それは秘密を守るというフリーメーソンのタブーを犯すことにもなりました。

フリーメーソンでは入社の儀式の際に、秘密を守らなければ死が待っているということを誓わされます。

また、モーツァルトが所属していたロッジ(支部)は、貴族的で非常に保守的であり、モーツァルトの肌には合わなかったようです。


モーツァルトの親友でフリーメーソンの一員でもあった、ホーフデーメルという裁判所の書記官がいます。


彼の妻はモーツァルトと不倫をしていました。

そして、

ホーフデーメルは、モーツァルトの死の知らせを聞いてすぐに、妻と無理心中をはかりカミソリで自分の喉を切って自殺しました。



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