『モーツァルトの死』
『モーツァルトの死』には、いろんな説がある。松本清張はウイーンまで調査にでかけ、文献や墓場の場所などしらべたが、不明であったという。
清張の講演を聞いた内容と、鷹浜仁流のブログ(知らないほうが良かった都市伝説)に良く似ているので、ブログのコピーを以下に示す。
モーツァルトの死因ですが、もちろんドッペルゲンガーに会ったから死んだわけではありません。
彼の死にはちゃんと理由があります。
ウィーン市の公式記録には急性粟粒疹熱
とありますが、梅毒だったともリューマチ性の炎症熱だったともいわれています。
しかし、モーツァルトは、発病前に妻のコンスタンツェに毒を盛られたと告白しています。
また、そのことを手紙にも書き残しています。
では、いったい誰がモーツァルトを毒殺したのでしょう…。
音楽家サリエリがモーツァルトを毒殺したという説が有名です。
サリエリは音楽的にモーツァルトと対立していました。
彼の音楽的才能に嫉妬していました。
この話は、
『アマデウス』
という映画でも描かれていますし、殺害された当時もその噂は絶えなかったといいます。
しかし、これも事実ではありません。
真犯人は別にいます。
その謎を解く鍵は、モーツァルトが晩年に発表した歌劇
『魔笛』
にあります。
『魔笛』は、一人の王子が様々な試練を乗り越えてお姫様を救い出す物語です。
しかし、その細部を見ていくと…
試練の儀式、
異教の神、
など、あるものがモチーフになっています…
それは…
フリーメーソンの儀式です。
『魔笛』にはいろんなところにフリーメーソンに関係する設定やシーンを見つかります。
試練の儀式において、僧侶に沈黙を誓わされ握手するシーンは…
フリーメーソンに入社する際の儀式と全く同じなのです…。
モーツァルトは熱心なフリーメーソンの一員で、自分で新しいロッジ(支部)を作ろうとさえしていました。
当時、フリーメーソンは冬の時代で、フランス革命がフリーメーソンを中心に行われたことにより、欧州各国では貴族たちによって大規模なフリーメーソンの弾圧が始まろうとしていました。
モーツァルトはフリーメーソンの素晴らしさを観客に伝えようとしていたのかもしれません。
しかし、それは秘密を守るというフリーメーソンのタブーを犯すことにもなりました。
フリーメーソンでは入社の儀式の際に、秘密を守らなければ死が待っているということを誓わされます。
また、モーツァルトが所属していたロッジ(支部)は、貴族的で非常に保守的であり、モーツァルトの肌には合わなかったようです。
モーツァルトの親友でフリーメーソンの一員でもあった、ホーフデーメルという裁判所の書記官がいます。
彼の妻はモーツァルトと不倫をしていました。
そして、
ホーフデーメルは、モーツァルトの死の知らせを聞いてすぐに、妻と無理心中をはかりカミソリで自分の喉を切って自殺しました。
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