2021年10月14日木曜日

高市早苗政調会長と高松塚古墳?

 高市早苗(たかいちさなえ)が政治家になるまで:



奈良県出身。父親はトヨタ系列の自動車会社勤務、母親は奈良県警察勤務という共働き家庭に育った。

奈良県立畝傍高等学校を卒業。神戸大学経営学部経営学科へ進学。専攻は経営数学。

大学生時代は軽音楽部に所属し、ヘヴィメタルバンドでドラムを担当。

1984年昭和59年)、大学卒業後に松下政経塾に入塾した(第5期生)。

1987年アメリカ合衆国(米国)へ渡った。米民主党下院議員のパトリシア・シュローダー英語版の個人事務所で、Congressional Fellowとして勤務し、議員立法のための調査や分析を行った。

1989年平成元年)に日本に帰国し、松下政経塾を卒塾して亜細亜大学系列の日本経済短期大学(のち亜細亜大学短期大学部)助手に就任。

1990年(平成2年)には、フジテレビ系列の朝の情報番組朝だ!どうなる?」のメインキャスターを務めた。

1992年(平成4年)第16回参議院議員通常選挙奈良県選挙区から無所属として出馬したが、落選

1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選した。

高市姓:

高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)は、天武天皇の皇子(長男)、母は宗形徳善の娘、尼子娘

ルーツをたどれば、九州の宗像氏にたどりつく。あまり論じられていないが。

西方浄土筑紫嶋: 高市皇子 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)


万葉集
明日香皇女の城上の殯宮の時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并に短歌

飛鳥の 明日香の河の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す ・・・

高市大王と、明日香皇女は同じ殯宮、「城上の殯宮」である。他人の后が同じ殯宮に安置されることはない。このことからも、高市皇子の皇后はこの明日香皇女であると推測できる。

高松塚古墳は、この高市皇子か忍壁皇子が有力だ。すると、明日香皇女のお墓は、今は文武天皇陵とされている檜隈安古岡上陵か、あるいは、キトラ古墳と推測できる。






奈良の高市姓は、古くからある名前で、由緒ある家系であることは、間違いない。

ただ奈良時代まで続く家系図や資料は残っていないので、皇室につながるか否かは不明である。

高市早苗議員は、女性が結婚して姓が変わることに反対している方で、高市姓を誇りに思っていることは、確かである。

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