2021年7月25日日曜日

スケートボード

 スケートボードがスポーツとして認識され始めた歴史は浅い。

古賀市のグリーンパークに、スケートパーク(ライブ・スケーツ古賀)の施設が設置されたのは、比較的に早い時期だったが、当時の市民の評価は、かならずしも高いものではなかった。



夏と冬の年2回開催される「X-GAMES」などの大会が、アメリカのケーブルテレビに大きく取り上げられるようになった2005年から、徐々にスポーツとしての認識が高まっていった。

そして2020のオリンピック種目にも決まった。

 スケートボードは1940年代に発祥したと言われているので、これまでの80年あまりの歴史のうち、スポーツとして意識されているのは、たった16年である。

日本でのスケートボードの歴史は、それよりもさらに短い。日本において、スポーツとしてのスケートボードは、欧米に比べるとかなり遅れているのが現状だ。練習する施設の数や質は低く、ストリート(街中)で滑れる場所も少ない。

公園や街中で「スケートボード禁止」と書かれた張り紙はよく見るだろう。スケードボードは滑るときや技をする際に、かなり大きな音をともなう。近隣への騒音問題もあって、スケートパークが作られる場所は限られてしまう。そのため都内においては片手で数えられるくらいの施設数しかない。



しかし、スケートボードの競技人口は増えているので、施設で滑れず、溢れてしまう人が出てくる。そうしたスケーターは、住宅街や街中へと練習の場を探し彷徨い始めるのである。スケートボードの練習は人通りが少なくなる深夜に行うことも多い。夜に仲間と集まって、街中でスケートボードをやっていることもイメージが悪い原因の一つだろう。


つまり、日本のスケートパーク事情というのは、まだまだ後進国であり、施設は、競技人口の1割もカバー出来ていないのだ。

しかし、スケートボードは、初期投資が安く、舗装されている道さえあれば、いつでも気軽に出来るので、我々の生活環境にとても近く、スポーツとしては特殊なポジションに位置しているのである。

では、なぜスケートボード後進国である日本で、金メダル候補が2人も出ているのだろうか。

 その理由は、日本の都市設計にかなり関わってきている。スケートボードには「ストリート」と「パーク」の2種目がある。

ストリート
「ストリート」は街中にある階段や手すり、縁石、スロープなどを真似て作ったセクションで競技するものである。狭い国土の中に、都市がギュッと凝縮され、街中にはオフィスビル、商業施設などがひしめき合っている日本の都市部は、ストリート競技に欠かせない階段やスロープが数々存在しているので、ストリート種目の恰好の練習の場である。

「ストリート」での金メダル候補と名高い堀米雄斗選手、西村碧莉(あおり)選手が、ともに東京都出身であるのは、あるいはそういった理由なのかと頷ける。

堀米雄斗選手
2人とも両親により幼少期から手厚いサポートをされ、そのスケートボード人生を歩んできたようだ。
そして堀米選手の金メタルが決まった。






古賀市のは、「パーク」の施設で、オリンピックでは、写真のようにさらに広い施設だ。

有明アーバンススポーツパークの施設
環境に恵まれすぎた、古賀市からは選手が育たなかったのは、残念であった。

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