日本語では漢字があり、カナがあり、文字種が多いので、欧米のようなタイプライタにするのが困難であった。
それで、漢字の活字を一つずつ拾って印字する「和文タイプライタ」があったが、操作性の悪いものだった。
それが、ITの発展により、現在のように英文タイプライタ(キーボード)から漢字入力ができるようになった。
ところが、それを円滑に行うには、漢字の辞書や同音異語からの選択論理などのために、大量の記憶容量と高速な処理速度が要求され、初期のパソコンでは限界があり、文書作成専用機が必要になったのである。 それが「ワープロ」である。東芝試作1号機 |
仮名漢字変換の研究:
かな文字を入力し、その読みから候補となる漢字を選択する、コンピュータによるかな漢字変換の仕組みの開発は、当初、構文解析を行い、文節単位、熟語単位の変換を可能にし、同音異義語の選択学習機能も備えていいなければならない。かな漢字変換機構は、コンピュータによる日本語利用を普及させるための核心となる技術である。
九州大学などで、これらの基礎研究がなされていたが、民間企業では、東芝と沖電気、シャープが最初に取り組んだ。
東芝は、1974年に京都大学と形態素解析による仮名漢字変換の研究を開始。1978年(昭和53)、日本初の実用的な仮名漢字変換システムを完成。
文字種:6,800字
登録語数:最大8万語1980年になると、多くのメーカーがワープロ専用機を開発した。これらは、シリーズ名称として長く用いられることになる。各社ともその後、ビジネス用の高機能機、家庭用も含む低価格機、持ち運びが可能な小型機など多様な機種を提供してきた。
- NEC「文豪」
1980年に「NWP-20」を発表。1981年に「文豪 20N」と改名してシリーズ化
同社製のパソコンPC-9800シリーズやN5200シリーズなどとの互換性を重視。 - 富士通「OASYS」
1980年に「OASYS 100」。
日本語入力に適した「親指シフト」配列のキーボードをサポート。 - シャープ「書院」
- 1981年に「書院 WD-3000」発表
早期から液晶画面の採用による軽量化を実現。自動短縮変換機能(一回変換した単語は、次回から頭のかな一文字で変換される機能。例:1回目「かんじ(変換)→「漢字」→2回目「か(変換)→「漢字」) - 東芝「TOSWORD」(業務用)「Rupo」(個人用)
- 日立「ワードパル」
- キャノン「キャノワード」
- 沖電気「レターメイト」
1980年代の初頭に、ITを活用してオフィス業務の生産性を向上させようというOAの概念が普及した。
1980年代中頃になると、ワープロ専用機が急速に普及し、社内文書が手書き文書からワープロ文書に移行した。
しかも、ワープロが、単なる文書清書の機械ではなく、文書を検討するためのツールであり、文書の標準化、文書の保管・再利用に役立つことが認識されたのである。
それに応えるために、ワープロは多様な進化をした。
- ●低価格化・小型化
- 1982年 シャープ「WD-1000」
初のコンパクトワープロ。119万円。 - 1982年 富士通「My OASYS」
初めて100万円を切る廉価版。略語「ワープロ」を用いる。
これにより価格競争が激化。1985年頃のワープロ平均価格は20万以下に - 1984年 沖電気「Lettermate 8」
キャリングタイプ(8.5kg) - ●高機能化
- 1894 NEC「PWP-100」
漢字入力でM式(連想方式)を開発 - 1985年 東芝「TOSWORD JW-8DII」
全文かな漢字変換機能のサポート(従来のかな漢字変換では文節単位で変換キーを押して変換していた) - ●多機能化
- 1982年 NEC「VWP-100」
世界最初の音声入力機能 - 1985年 東芝「TOSWORD JW-8DII」
表計算機能「ワードプラン」の内蔵 - 1985年 富士通「OASYS 100R」
国語BASIC、表計算ソフト Multiplan,英文ワープロソフト Word Starなどパソコン機能
同社パソコン「FMRシリーズ」の原型 - 1986年 富士通「OASYS 30AF」
パソコン通信機能、モデム内蔵
1980年代後半:パソコンのワープロソフトの出現
1980年代中頃から、パソコン用のワープロソフトが出現し、1980年代後半には、ワープロとパソコンの間での攻防戦が始まった。
ビジネスでのパソコンは、表計算ソフトの利用が盛んであり、汎用コンピュータやオフィスコンピュータの端末として利用されていた。
そのため、二重投資を避けるために、従来のワープロをパソコンに移行する動きがでてきた。
一方、ワープロは専用機であることの利点を生かして、高度な辞書やAIを活用した高度変換機能を装備したり、罫線、特殊フォント、図表など体裁の優れた文書作成など、パソコンソフトとの差別化を図って対抗した。
- ●英文ワープロソフト
- 1978年 「WordStar」
- 1983年 「Word」
- 1986年 「WordPerfect」
これらはその後日本語対応をしたが、その機能はワープロに比べて貧弱であり、競争対象にはならなかった。脅威になったのは、1995年のWindow95に搭載されたWord/IME 以降である。 - ●日本語ワープロソフト
- 1983年 管理工学研究所「松」
- 1983年 ジャストシステム「JS-Word」(一太郎の前身)
- 1985年 ジャストシステム「一太郎」その変換FEP「ATOK」
一太郎は、当時は国民機といわれたNECパソコン PC-8800、PC-9800に搭載されて普及し、ワープロソフトの代名詞のようになった。 - ●ワープロのAIを利用した高機能化の例
- 1988年 東芝「TOSWORD JW-1000AI」
- 1988年 日本電気「文豪 3VIIEX」「文豪 3MII」
ワープロソフトと漢字入力ソフト(IM)
ワープロソフトというと、Wordや一太郎などが有名であるが、これらが直接に漢字変換しているのではない。ローマ字やかなを入力して漢字に変換しているのは、MS-IMEやATOKなどであり、それをIM(Input Method)という(以前には[漢字入力]FEP(Front End Processor)と呼ばれていた)。
このIMがあるから、Wordや一太郎に関係なく、パソコンに漢字を入力できるのだ。
Wordや一太郎は、IMを用いて複雑な文書を簡単に作成するためのソフトウェアなのである。
WordはMS-IME、一太郎はATOKを標準IMとしているが、WordでATOKを用いることやその逆も可能である。
1990年代:パソコンとの競合に敗退
1990年代の当初ではダウンサイジング、中頃からはインターネットの急速な普及により、パソコンがコンピュータの主流になってきた。
そのような環境に対応するするために、ワープロも Windows などのOSを採用して、パソコンとの互換性を高めた。
- 1994年 富士通「OASYS V」シリーズ(Windows3.1)
- 1995年 東芝「Rupo WPC5000」(Windows3.1)
- 1996年 日立「with me PC WPC120」(ワープロ用OSとWindows95のマルチOS)
このような対応にも関わらず、1990年代になると、ワープロ専用機はパソコンとの競争に敗北して出荷台数は次第に減少した。そして、2000年初頭に各社がワープロの生産を終了した。
家庭でも2000年にワープロの普及率はパソコンに抜かれた。また、2000年代後半にはメーカーのサポート業務も終了してしまった。
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