2021年9月18日土曜日

船原古墳から希少な鉄製の冑

 またも重要な発見!! (古賀市長のブログ)

古賀市の国史跡・船原古墳(6世紀末~7世紀初め)から出土した遺物の中に、朝鮮半島の特徴を持つ極めて希少な鉄製の冑(かぶと)が九州で初めて確認されました。 外交や交易に関わる「最高ランクの武人」(専門家)など社会的地位の高い有力者が使用したとみられます。 本日、記者会見で発表しました。
この冑は「竪矧板革綴冑(たてはぎいたかわとじかぶと)」。 22枚の縦長の鉄板(竪矧板・長方形)が革紐で綴じられ、頭頂部に伏板が取り付けられている構造。 伏板には、冠帽と呼ばれる烏帽子形の装飾が施されていた可能性があり、これは社会的地位の高さを示すといいます。
船原古墳調査指導委員会の副会長で、記者会見に同席した桃﨑祐輔・福岡大学教授は「朝鮮半島の新羅や百済のみならず、中国の北朝や隋の使節が見ても、一目で最上位の武人とわかる冑だったと考えられる」との見解を示しています。
ヤマト王権の時代から古賀が交通の要衝であり、朝鮮半島との外交や交易で重要な地だったことを示唆しており、いまだ分かっていない船原古墳の被葬者の「謎」の解明に向けて、さらに前進しました。 昨年11月に発表した国内初確認の玉虫装飾馬具に続き、調査・分析の重要な成果といえます。 この玉虫装飾馬具も朝鮮半島の王陵級古墳のみで見つかっており、最上位階級の者の馬を飾った最高級品とされます。
なお、これまで船原古墳から出土した多くの馬具について調査・分析の成果を公表してきましたが、今回初めて、人が身に着けていた遺物で朝鮮半島とのつながりが確認できました。 また、今回の冑と同じ構造のものは朝鮮半島でも5例しかありません。 完成品に近く全体像が分かる状態で発掘されたことも資料として希少です。
この投稿に添付の写真を見てもらうと分かりますが、冑の形状がおかっぱ頭のようになっているのも考古学的に重要な特徴であるとのこと。 記者会見では、私が復元品をかぶってもみました。
考古学界が大注目の船原古墳。 今後も歴史の扉を開く発見が期待されます。 引き続きご注目ください!







朝日新聞の記事(追加)

同じタイプの冑は東北から四国にかけての地域で7点見つかっており、群馬県・綿貫(わたぬき)観音山古墳では冠帽部分も鉄で作られたものが出ている。




しかし、頭を覆う本体部分しか残っていないものが多く、顔の左右につく「頰当(ほおあて)」や後頭部を守る「綴(しころ)」までそろって出土したのは船原古墳が初めてという。

船原古墳の副葬品からは朝鮮半島東部・新羅(しらぎ)製の玉虫の羽を組み込んだ馬具や、やはり半島製とみられる馬用の冑も見つかっている。 調査を指導している桃崎祐輔・福岡大教授は「被葬者は大和の王権と朝鮮半島の外交を仲介した人物だろう。輸入品を直接入手できる立場にあったか、王権から功績を認められ、権威を示す武具を与えられたのでは」と推定している。


田辺市長の兜姿

私が2001年に、宇野慎敏氏の「北部九州における甲冑出土」の講演を聞いた時の資料によると、方形板のほうが古く、長形板のほうが新しいようだ。


長方形のほうが新しいようである。
福岡・若八幡宮古墳(今宿)には、短甲のほかに、三角縁二神二獣鏡、鉄製環頭太刀・剣・刀子・斧・鏃および銅製有孔円盤・玉類など多くの副葬品が納められていた。

 古賀市永浦4号古墳出土の短甲は、三角板鋲留である。そのほかにも写真のような多くの出土品があった。
永浦古墳の出土品



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