2021年9月7日火曜日

わが心の旅:団伊玖磨のウイーンの旅。

 1995年に、わが心の旅で、団伊玖磨氏が、ウイーンの街を旅した。勿論初めてではなく、かなりの回数の訪問や滞在をした街である。知人もおおく、仕事関係の場所や音楽の歴史の場所も詳しい。その再放送を最近みた。


街の公園には、多くの音楽家の銅像がある。

ベートーヴェン
        
バッハ
モーツアルト(王宮庭園)
       
ブラームス

シューベルト(市立公園)
ヨハンシュトラウス
1982年に私が旅した時は、この銅像は黒ずんでいた。その後金メッキされたようだ。

1873年にウイーンで万博が開かれ、明治新政府もはじめて出品した。その時の資料を集めていた団伊玖磨の知人が、当時の日本庭園跡地、日本的なウイーンの街の建築のデザインや意匠、日本画の影響をうけた画家の事例などを多数紹介してくれた。
日本の展示品に金の鯱なども


日本庭園の絵



クリムトの婦人画作品なども、日本の衣裳の影響をうけているようだ。
   
クリムトの作品

追記:
『古賀町誌』の「團氏」(659-662P)と「開創四百年記念 圓盛山谿雲寺」パンフレットから筵内の團氏を簡単に記す。
古賀SA上り周辺の丘陵〝旦ノ原(だんのはる)〟から宗像にかけて豪族の團氏の領地だったようで、團摂津守宗成が菩提寺を飯盛山麓に建立した。
その後、維新政府黒田藩に仕えた團尚静の養子の琢磨が炭鉱経営で活躍する。その子団伊能は三井物産で活躍し、團伊玖磨はその子である。
團伊玖磨(1924-2001)は、先祖の地を訪ねて、筵内谿雲寺に1990年3月に来訪された。
当時は郷土史に詳しい長崎初男先生が、案内された。
團という姓のルーツはベトナムにあるようで、團氏はベトナムにも調査訪問されたそうだ。
中国で亡くなられた團伊玖磨の心の旅は、世界各地にある。

團という一字姓のため、少年時代はしばしば「朝鮮人」「シナ人」と罵られたという。
700年前の祖先の團将監は宋人だったと伝えられている。

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