2022年1月2日日曜日

幕末・明治維新の混乱と欧米の動き

 

西方浄土筑紫嶋: 元治・慶応・明治初期の年表 (ereki-westjapannavi.blogspot.com)

九州の諸藩(西南諸藩)が一丸となって徳川幕府に対峙し、維新へとつながったという発想。


しかし、徳川慶喜が「大政奉還」した後も、徳川家支援のために、肥前佐賀藩、肥後細川藩、筑前福岡藩、筑後久留米藩が連携していた。
 この切り崩しに、長府藩報国隊(長州藩諸隊)が行動していた。
しかし、鳥羽伏見の戦いで大勢が決まると、花山院隊は切り捨てにされる。相楽総三の赤報隊もしかり。



ここで、見えてくるのは、壮絶な諸外国の情報合戦。インテリジェンスの戦い。

 フランス資本を導入して薩長に対抗する幕府の小栗上野介。

イギリス資本と結んで、幕府軍を攻撃する薩長軍。



その情報をイギリスから入手した薩長。
その対立構図の最中に、間隙をぬってアヘン貿易で日本を植民地にしたいアメリカ。
くんずほぐれつ、暗闘が続いていた。
 さらに、ロシアが傍観しながら漁夫の利を狙う。

これに対抗して、プロイセンも会津同盟国に武器供与を行う。

徳川慶喜が、江戸城を明け渡して降伏するも、北陸列藩の同盟軍は、北海道の貸与を条件にプロイセンからの武器を手に入れて、薩長軍との戦を継続する。
イギリスは、これらの危機を防ぐため、各国に「局外中立」を申しいれて、内戦の長期化をねらう。同時に新潟港の海上封鎖を行って、武器の流入をストップする。





会津藩はついに降伏し、戦場は函館五稜郭の榎本軍だけとなる。
イギリスは、徳川将軍が降伏したあとの榎本軍は反乱部隊にすぎないとして、「局外中立」を撤廃し、アメリカ製の軍艦をふくめた艦隊で函館港を攻撃し、榎本軍を降伏させる。



 ここでやっと明治新政府の体制ができたが、まだ西郷・大久保の対立などがおこり、混乱が続く。自主独立を維持するのは、本当に大変。

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