明治4年(1871年)の廃藩置県で、福岡県が誕生してから、今年は150年周年をむかえる。
明治9年には当時の小倉県、三潴県を合併して、現在の県域が確定した。
明治時代は、炭坑の隆盛、九州初の鉄道開業、製鉄所や大学の設置などを経て、九州の要の県として成長する。
大正末期から昭和初期にかけて、西洋建築の大きな県庁舎を建説し、県全域に大規模の道路改良計画をたてるなど、県勢の発展がはかられる。旧庁舎はわたしと同じころの生まれだったようだ。
しかし、昭和の戦争時代には、政治や軍部の拠点となり、米軍の空襲で大きな被害をうけて終戦をむかえた。
終戦からも75年が経過しているから、わたしのように、大空襲を昨日のように記憶しているものにとっては、廃藩置県は、一昨日のようなものである。
150周年の記憶を示す展示会が、県内の数か所でひらかれている。
私の県庁とのかかわり記憶は少ない。県立旧制福岡中学に入学したが、学生として県庁とのかかわりは全くなかった。県警とのかかわりは、小学生のころ財布を拾って、派出所に届けたくらいである。
戦後はじめて上の写真の旧県庁舎を訪れたのは、昭和40年代はじめに海外パスポート申請のためであった。
昭和50年代には、県の技術アドバイザーの委嘱を、亀井、奥田知事からうけて、中小企業めぐりをしたり、県の技術研究所との交流をしたりした程度である。そのころ新庁舎ができて立派な姿に驚いた。
いまのご縁は、新県知事さんのコロナ対策が重点である。
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