古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
26日に元職場のOB会で渋田見君と久しぶりにあった。
有名な小倉小笠原藩の白黒騒動で、藩主を老中に推進する家老で、反対派に暗殺された渋田見主膳のご子孫である。
小倉城
家に伝わる日本刀剣類、鎧類、古文書、家系図などを、アイパッドにいれて綺麗に整理しているのを見せてくれた。歴史愛好家にはみのがせない写真ばかりであった。
同じ職場だった興膳君が単行本にしている。渋田見の前の姓は仁科で、そのルーツは武田勝頼の弟で、高遠城主となった仁科五郎盛信だという。
ここから数えると30代という長い歴史。
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