桶狭間の決戦は、今川と織田が主役だが、今川方で参加した松平元康(家康)の行動を、小和田さんの本に詳しく書かれている。
大高城に兵糧を入れるには二つの砦を突破しなければならない。夜陰に、一部の兵を寺部城に差し向け放火させる。丸根、鷲津砦の織田軍が飛び出して寺部城に向かった間に、元康軍は大高城に兵糧を運びこみ、翌朝には、二つの砦も陥落させた。
この日の夕刻に、義元の死が確実となると、また夜陰に岡崎城近くの大樹寺に戻り陣を構え、城内の様子をうかがう。
岡崎城代の三浦上野介は、一刻も早く駿府に帰りたいが、城を放り出しては帰れぬと逡巡していたところに、元康が来たので喜んだ。しかし元康は、今川家御当主の指示がなければ、と一向に動かない。三浦は、織田軍がくるまでわれらをここに留めおく策略か?と疑い、夜逃げ同然に城から遁走した。
元康は、今川から引き継げば、預けた城だ、返せといわれるが今川が捨てた城なら、拾うても氏真は文句を言えまいと、悠々と岡崎城に入城した。
何事にも慎重な元康らしい話である。しかも妻子を駿府に置いたまま、御家再興のための決断である。
その後三河國内の今川勢力の掃討と、織田信長との同盟にむかう。
0 件のコメント:
コメントを投稿