昨日の大河で、渋沢栄一と土方歳三が出会う場面があった。どちらも武州の百姓の出で、天下のために活躍する道をさぐって田舎をでた経緯に、意気投合した。また会う機会があったら?と将来の出会いを予告した別れであった。
歴史資料では、上海で出会うことになっている。その伏線の場面であろう。
徳川昭武一行が、上海に寄港した時、榎本武揚からの使者を迎える。
榎本軍の指導者になって欲しいという要請であった。旧幕臣達の旗頭として、フランスに近い昭武を迎えれば、外交交渉上も優位に立てるという榎本のしたたかな計算もあったろう。
しかし徳川らは、危険すぎるという理由でこの申し出は断る。そして、帰国した昭武は、逆に新政府から榎本軍討伐を命じられる。歴史の矛盾と皮肉であった。
しかし徳川らは、危険すぎるという理由でこの申し出は断る。そして、帰国した昭武は、逆に新政府から榎本軍討伐を命じられる。歴史の矛盾と皮肉であった。
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