2021年6月18日金曜日

「不死身の駆逐艦」雪風


 

駆逐艦8番艦「雪風」は、1941(昭和16)年12月11日にフィリピン中部のレガスピー攻略戦へ参加したことを皮切りに、謎の多い空母「信濃」の護衛や、太平洋戦争末期には戦艦「大和」の沖縄特攻にも出撃した。

ほか、ミッドウェイやソロモン、レイテ沖など太平洋戦争におけるおもな海戦のほとんどに参加しながら、「雪風」は大きな損傷を受けることなく終戦を迎えた。

当時の主力駆逐艦であった甲型駆逐艦(陽炎型、夕雲型)38隻のなかで、唯一の生き残りである。

戦時中からその強運ぶりは知られており、「強運艦」や「不死身の駆逐艦」、また、ただちに戦闘態勢へ入る初動の速さから「超機敏艦」とも呼ばれていた。

1943(昭和18)年11月2日から3日にかけ、南太平洋の現パプアニューギニア島しょ部にあったラバウル泊地が空襲を受けた際、在泊していた日本艦艇のなかで一番早く機関を動かして湾外に脱出した駆逐艦「時雨」は、空襲を予想して最初から湾外に停泊していた「雪風」を見て驚いたというエピソードが知られている。

漫画家の水木しげるさんが、南方のラバウルで何度も九死に一生の体験を経た後、昭和21(1946)年3月、三浦半島浦賀に復員した時に乗船していたのがその「雪風」だ。

 護衛の駆逐艦「雪風」に魚雷射手として乗り組み、大和の最期を見届けた西崎信夫さんは、敵の機銃弾で自らも負傷しながら、ロープ一本で重油の海から兵たちを引き上げた体験談をテレビでつたえていた。

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