2022年7月3日日曜日

野村「碧雲荘」

 昨日のテレビで、非公開の野村「碧雲荘」が紹介された。

南禅寺の近くに、野村徳七翁によって建てられた別邸。
当時、廃寺となった南禅寺の塔頭子院の跡地に数々の別荘群が作られた。碧雲荘もそのひとつで、風光明媚な東山を借景に雄大な園池を築いた。
そして琵琶湖疏水の水を引き込んで池を造り、その周囲を木造平屋建や桟瓦葺を基本に良材を用いた大玄関、能舞台、書院、洋室、書斎、茶室などが囲んでいる。
「藤原時代の絵巻物をみるような豪壮快闊な庭園」と評価されている。
碧雲荘の敷地図を追加。今も野村グループの茶会が開かれているそうだ。
私も寮生時代に寮母さんからお茶をならい、家内が長く茶の湯(珠光流・・千利休の先生)の先生をやっていたので、茶室を建て生徒をよんで茶会をしたりしていた。レベルは大違いだが、茶会での交流には共通性がある。


利休は侘び茶の精神を突き詰め、茶室の面積の狭小化を試み、天井高も頭がつかえるほど低くし、そのデザインも高低に変化を持たせ、材も杉板、網代、化粧屋根裏にするなど工夫をこらした。
採光のための唯一の開口部であった縁の引き違い障子を排して壁とし、そこに下地窓、連子窓や躙口をあけた二畳の茶室を造った。
主客が近距離で交流し、一期一会、一座建立のできる環境作りの思想である。
これはまさに三密の環境であり、コロナの時代には不適な構造である。





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