古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
最近読んだ本で、感銘をうけた。トラック島の激戦地の生き残りで、日銀東大閥を無視して俳句一筋に生き、夫人の介護と供養をつとめ、93歳でガンの手術をうけ、今でも元気に俳句活動を行っている。
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