2022年7月3日日曜日

安達峰一郎

安達峰一郎
略歴:
アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし、国際連盟を脱退することになる。


日本人安達は、常設国際裁判所と日本軍部の狭間で苦悩の日々をおくる。国際法の立場のマスコミからは差別をうけるが、オランダの新聞には、安達が日本軍部と素手で格闘していると、好意的な漫画が掲載された。


所長3年の任期を終え、1934年(昭和9年)1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから、6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日、オランダアムステルダムにある病院で死去した。この時、オランダは国葬の礼をもって、国際平和に尽力した多大の功績と栄誉を称えた。

晩年の安達の書には、国家間の紛争解決は、戦争でなく国際裁判の時代であることをねがっている心境が記されている。

同じ外交官でも、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる杉原千畝(すぎはらちうね)ほど有名でないのは残念である。

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