- 1869年 - 羽前国村山郡高楯村(のち山形県東村山郡山辺町)に生まれ。
- 1882年 - 山形師範学校附属中学校(のち山形県立山形東高等学校)に入学。
- 1884年 - 上京し、司法省法学校に入学。卒業後東京大学法学部仏法科に入学し、英語、フランス語、イタリア語を習得。
- 1892年 - 東京帝国大学法科大学仏法科を卒業、外務省に入省。試補となり、和仏法律学校(現・法政大学)、明治法律学校講師も務める。
- 1893年 - 条約改正取調委員。公使館書記生としてイタリアに赴任し、外交官補に任ぜられる。
- 1905年 - 日本全権小村寿太郎の随員として、日露戦争講和のポーツマス条約草案作成にあたる。
- 1907年 - 法学博士の学位を授与される。
- 1913年 - メキシコ公使。
- 1917年 - ベルギー公使。
- 1919年 - 第一次世界大戦のパリ講和会議日本代表代理。
- 1920年 - 国際連盟第1回総会 日本代表代理として活躍。
- 1921年 - ベルギー大使(公使館が大使館に格上げの為)。
- 1921年 - 国際連盟第2回総会日本代表(以後、第10回総会まで連続して日本代表)。
- 1927年 - フランス大使。
- 1928年 - パリ不戦条約締結に参与。
- 1929年 - ハーグ対独賠償会議日本代表。この会議でフランスとイギリスが激しく対立した時、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招いて和解させ、会議を成功に導いた。
- 1930年 - 常設国際司法裁判所2期目の判事選挙で最高得票で当選。(判事の任期は9年)。
- 1931年 - 常設国際司法裁判所の第4代所長(裁判長)となる。(所長の任期は3年)。
- 1934年 - 逝去。オランダ国葬、常設国際司法裁判所葬。
2022年7月3日日曜日
安達峰一郎
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