2022年7月22日金曜日

故安倍元首相の国葬について

 わたしは古賀市の古賀グリーンパークの芝生広場に選挙応援でやって来られた幹事長時代の安倍氏の姿見と演説聴きに行った。確か2003年の衆議院議員選挙だったと記憶している。

人の死に方は多種多様である。だから国葬の有り方も明確な規定が出来ていない。
明治・大正時代には、岩倉、島津、伊藤、山県、松方、東郷、西園寺など、維新の藩閥勢力がらみで、大勢が国葬になっているが、昭和時代には、山本五十六と吉田茂の二人だけである。
私の世代では、国葬といえば山本だが、当時はテレビがなく、新聞記事だけの小さな記憶である。吉田の時代はテレビはあったが、ニュース番組程度の記憶しかない。
小学館の昭和・平成現代史年表には、山本の国葬は記載があるが、吉田の国葬記載がない。
令和の国葬は、凶弾に倒れた点では、伊藤や山本と同列だが、旧統一教会がらみだったので、世論が別れた。国葬反対運動などは始めてであろう。
家内などは、エリザベス女王の国葬と比べると質素な国葬だと評しているが、国王の国葬との比較はおかしい。
わたしは予期せぬ凶弾に倒れた元首相の国葬として評価するが、現世代の評価はどう位置付けるだろうか。
「語りあひて尽くしし人は先立ちぬ 今より後の世を如何にせむ」
菅義偉さんの「追悼の辞」は、歴史に残る内容があった。
彼は最後に、伊藤博文を暗殺で失った山縣有朋の心境を引用した。故安倍晋三氏が議員会館に残した岡義武『山縣有朋』の一節に、故人により傍線が引かれていたのだという。
伊藤博文を暗殺で失った帝国日本は、韓国併合へと急いだ。安倍晋三を凶弾で失った戦後日本は、どこに向かうのか。
政治家の死は、日本近現代史の業苦の中で、今また彷徨する。



A)  故安倍元首相、国内と国外での評価に差がある理由

国外では、トランプ前大統領という対応の難しい政治家を相手に、見事に振る舞ったという評価が高いにのに、国内ではたんなる癒着としか見られていない。
アメリカもそうだが、G7諸国に加えてQUADの豪州とインド、台湾そして他のNATO諸国における同氏への評価は非常に高い。
中国とロシアに関しても、弔意の表明としては丁重なものがあり、弔意の表明が難しい環境にある韓国でも尹大統領は日本大使館への弔問を行った。

たしかに自国民の視線と、国外からの視線の距離の違いがあり、例えば、オバマ米大統領は、アメリカ国内においては任期の8年を通じて、激しい賛否両論の中にあったが、日本での印象は良好なまま推移した。

B) 安倍外交の大きな評価
だが、今回の安倍氏の死去というニュースに対しての、内外の反応の違いは、そうした視点や距離感の違いだけではない。

では、アメリカが現地時間の7月8日に速やかに半旗を掲げ、ブリンケン国務長官とイエレン財務長官を急遽、派遣してきたとか、メルボルンのオペラハウスに日の丸が投影されたというのは、どうしてなのか、そこには3つの理由があるように思う。

第1の理由は、日本国内では現在でも残っている「安倍氏=ナショナリズムの煽動者」というイメージについて、これは内閣府と外務省の連携プレーだと思うが、ダメージコントロールに成功したということが挙げられる。
ダメージというのは、実際に多くの困難な局面があったということだ。
最初は、2007年4月、第一次政権の際に、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)との日米首脳会談のために首都ワシントンを訪れた際のトラブル。
当時のブッシュ政権は、安倍氏の一連の言動に歴史修正主義的な姿勢を指摘して懸念を表明していた。
具体的には、いわゆる慰安婦問題で、強制連行ではなくトラフィッキングだったと主張することが、国の名誉回復になるという種類の言動は、ワシントンでは全く同意する声はなかった。
この時は、安倍氏もその周囲も問題の深刻さに気づいて言動を修正した。
そればかりか、第二次政権になってからは、安倍氏自身が国連の「戦時の女性の人権」プロジェクトなどに積極的に関与して「汚名返上」を行い、その効果もあったのだ。
もう1つの局面は、2013年12月に現職総理として靖国神社への参拝を行った際。
これは、支持者向けの求心力を補強するのが狙いで、連合国に対する叛意はないというのはアメリカも承知していた。
オバマ政権は反応せず、東京駐在のキャロライン・ケネディ大使が遺憾の意の表明を出すだけで済んだ。
この2つの経緯の結果、逝去にあたって悪い意味でのナショナリストという評価はほとんど出なかった。

第2の理由は、これは現在進行形の問題だが、ロシアのウクライナ侵攻、そして中国の権威主義への傾斜という事態を受けて、アジアでもパワーバランスの維持には神経を使う状況にある。
そのような中で、ほかでもない日本は東アジアにおいて、今もなお経済的なプレゼンスを維持し、また外交面では西側同盟の一員としてブレずにいる訳だ。
その姿勢を確立した政治家として、G7など同盟国の間では信頼が厚かったわけだ。
同時に、そのように困難な状況だからこそ、清和会の伝統に従ってロシアとの外交チャネルを途切らせなかったこと、小泉政権が中断させた日中の首脳間外交を復活させたことなどで、ロシア、中国からも一目置かれる存在となったのだと思う。
第3の理由は、これは西側諸国とアメリカの中道から左の世論に対してだが、安倍氏がドナルド・トランプという対応の難しい政治家に対して、見事に振る舞ったことへの高い評価がある。
そのハイライトは、2018年6月にカナダのケベック州シャルルボワで行われたG7サミットだ。
G7では恒例となっている共同宣言の発出にあたって、自由貿易の推進という内容に反発したトランプは、こともあろうに共同声明への署名を拒んだ。
その際には、「G6+1」と言われるように、トランプをその他の首脳が取り囲んで、G7の結束維持を訴えるという緊迫した局面があった。
その際に、安倍氏がドイツのメルケル首相(当時)と共に、率先してトランプとの「対決」を行い、トランプは信じられないような言葉で、安倍氏を罵倒するという局面もあった。
これだけなら、「普通のG7リーダーの1人」ということになるわけだが、安倍氏の立場は特殊であった。
トランプは、2016年11月の選挙に勝利する以前から、日本に対して駐留米軍の経費の「全額負担」であるとか「より厳しい通商条件」などを突きつけていた。
その結果として、トランプの当選というのは、日本には大変な国難となっていた。
安倍氏は、周囲との周到な準備に基づいて就任前のトランプを、私邸に訪ねて個人的な親交を取り結んだばかりか、その後も度々ゴルフを共にするなど、個人ベースでの良好な関係を結んでいた。
日本国内では、その姿勢を屈辱的であるとか癒着として批判する声も出るくらいであった。
🇯🇵国際強調をトランプに迫った
そのような安倍・トランプの関係は、日本の国益を守るための捨て身の作戦であったことは、アメリカの政界でも理解されていた。
安倍氏は、そのような関係を結んでいながら、G7の席上ではカナダや欧州の各国首脳と共に、国際協調と自由貿易の原則をトランプに突きつける責任を果たしたわけである。
これは、アメリカの政界、そして国際ニュースに関心を持つ層には、鮮烈な印象を残したのだと思われる。

C) 国葬の有り方

逝去にあたって、安倍氏の葬儀の扱いが話題になっている。

仮の話だが、最高格式の国葬という形にして、それこそ縁の深かった、オバマ、ヒラリー、トランプといった過去の政治家だけでなく、バイデン、プーチン、ゼレンスキー、習近平の4人の参列がかなえば、故人に対する良い供養になると思う。
弔問外交で一気に停戦は無理でも、この4人が静かな祈りを共有することが、近い将来の和平への環境整備になる可能性はあると思う。
また、そのような追悼行事を成功させれば、日本の警備当局に対する国内外の信頼回復にもなるのではないか。
安倍元首相の意志を継ぐ覚悟があれば、全世界から元首を迎えて国葬外交をやるべきである。
しかし周辺には、日本に首脳会議を開かれたら都合の悪い国がある。
そこからの指令で日本国内で国葬反対派が活動しているかもしれない。
また後二カ月で日本の警察は警備体制を整えられるどろうか。
必要なら、覚悟を決めて自衛隊にも警備させても良い。
安倍元首相の国際葬という場で世界の首脳たちが面談する機会を得ることは大切だ。
この世界的なイベントに訳の分からない理由で反対させられている傀儡政党を明らかにすべきだ。
それまでにコロナの蔓延も治めなければならない。

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