1968年3月、パリ郊外に63年に新設されたパリ大学ナンテール校で「新左翼」の学生による占拠事件が発生。
5月3日にはソルボンヌでの学生集会に警官隊が動員され学生が逮捕された。
5月10日には大学当局が学校を閉鎖したことに抗議する学生たちがパリ市内の学生街カルチエ=ラタンに結集し、警官隊と衝突した。
カルチエ=ラタンにはバリケードが築かれ「解放区」が出現、政府は共和国保安隊を出動させて鎮圧にあたった。
多くのけが人が出る中、5月13日には労働者・市民が学生を支援するデモを行い、混迷は5月末まで続いた。
ド=ゴールははじめ、「子供の遊びさ」と楽観し、暴動の最中も外国訪問を繰り返すなどひんしゅくを買い、ようやく5月30日に国民議会を解散して総選挙を行うことを宣言し、事態の収拾にあたった。
政府も労組に対して賃上げを約束するなどして運動を懐柔し、6月末には平静を取り戻した。
私は当時スイスからパリに入国予定だった6月24日が、2日ほどのびて26日にやっとパリ空港にはいれた。
学生街カルチエ=ラタンの道路の煉瓦は殆どはがされて、投石の道具にされていた。周辺にはまだ警察の機動隊の車両が点在していて、警戒にあたっていた。
6月に行われた総選挙は暴動への反動からド=ゴール派が圧勝し、危機は去った。
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