2021.5.30.放送 2時間番組。
討論者:
石野博信(兵庫県立考古博物館名誉館長)
片岡宏二(小郡市埋蔵文化調査センター所長)
倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)
佐古和枝(関西大学英語国際学部教授)
高島忠平(佐賀女子短期大学名誉教授)寺沢 薫(纒向学研究センター所長)
福永伸哉(大阪大学文学部研究科教授)
柳田康雄(國學院大學客員教授)
渡邉義浩(早稲田大学・文学学術院教授)
上野祥史(国立歴史民俗博物館 准教授)
潘偉斌(河南省文物考古学研究院)
これだけ大勢の出演者だと、多くの項目や内容がありすぎて、結局具体的な決定項目もあいまいであった。
まずは過去の論争の要約。
1967年宮崎康平の島原説 |
九州説の私にとって、新しい有利な話としては、つぎのような項目があった。
2世紀の伊都国の王墓の特徴は、太陽信仰が主体で、頭を西、足を東に埋葬され、鏡が多数うめられていた。
3世紀の纏向史跡にも、太陽信仰の特徴が同様にみられ、共通点が多い。伊都国から纏向に移住した可能性が高い。
魏志では倭奴と日本を区別している |
当時中国本土でつくられた銅鏡は内行花文鏡と画文帯神獣鏡で、これは九州でしか出土していない。
倭国の東に別の倭族の国があり、これを日本ということが中国の歴史書にかいている。北部九州連合国が「親魏倭王」の國印をもらった可能性は高い。
邪馬台国までの行程を、距離で示した部分と、日程(時間)で示した部分を、加算するのは、おかしい。
距離で示した内容では、白鳥説のように、不弥国から300里の距離に邪馬台国があり、九州内部であることは、確実である。日程での表示は距離をしらない別の人物からきいた話が併記されているだけである。
北部九州には多くの環濠集落があり、相互の連絡ネット網をつくられていた。
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