2021年5月13日木曜日

サイコな映画:二つ:「サイコ」、「炎上」


最近 Psycho な映画を二つみた。

「サイコ」 

ロバート・アルバート・ブロックRobert Albert Bloch1917年4月5日 - 1994年9月23日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれの小説家SF作家ホラー小説作家、脚本家および映画原作者。

彼がエド・ゲインの犯罪にヒントを得て執筆した小説『サイコ』が、アルフレッド・ヒッチコック監督により映画化されて、有名になった。

アルフレッド・ヒッチコックAlfred HitchcockKBE1899年8月13日 - 1980年4月29日)は、イギリス生まれの映画監督映画プロデューサー1939年からは主にアメリカで活躍した。

スリラー映画で成功し、製作・脚本も手がけた。また、自身の映画に頻繁にカメオ出演することでも、知られている。サスペンス映画の神様とも称される。

あらすじ:

前半はマリオンの犯した横領をめぐる心理的葛藤を描くクライム・サスペンスの様相を呈し、「クルマを購入する際の不自然な挙動」や「それを不審に思う警官」など、不安定な心理状態と緊迫感が丁寧に演出される。ところが、彼女は何の前ぶれもなく刺殺される(『シャワー・シーン』)。モノクロでも凄惨な映像と音楽は、後に多くの他の映画作品において模倣やパロディーが繰り返された。細かなカットについて、タイトル・シーケンスも手がけたソール・バスは、「自分が絵コンテを描いた」と主張している。

後半では、マリオンの姉と探偵らによるマリオン探しが主眼になり、謎とサスペンスは次第にベイツ・モーテルへと集中していく。探偵殺害シーンでは“カメラが人物の背後からはるか頭上へ1カットで急速に移動する”など、多くの映像テクニックが駆使されている。最後にマザーコンプレックスのノーマンがかばう母親の正体が明らかになり、物語は「この世にいないはずの人物によるモノローグ」という大胆かつ実験的な終結を迎える。


小説『金閣寺』(きんかくじ)は、三島由紀夫長編小説。三島の最も成功した代表作というだけでなく、近代日本文学を代表する傑作の一つと見なされ、海外でも評価が高い作品である

金閣寺に憑りつかれた学僧が、それに放火するまでの経緯を一人称告白体の形で綴ってゆく物語で、戦中戦後の時代を背景に、重度の吃音症宿命人生との間に立ちはだかる金閣の美への呪詛と執着のアンビバレント心理観念が、硬質で精緻な文体で綴られている。

映画「炎上」 市川崑の監督



大映プロデューサー藤井浩明は、市川崑に監督を依頼するが、『金閣寺』を読んでいた市川は文学作品として完成度の高い原作の「素晴らしい名文」の観念世界を映画で表現するのは不可能と考え、一旦断った。しかし3か月もねばる藤井の熱心さに押され、「自分の手に負えないものを何とか征服したい」という気持ちも起ったために引き受けることになった

しかし、『金閣寺』の映画化に対して、金閣寺の住職からやめてほしいというクレームが入り、金閣寺だけでなく京都の仏教界も反対し、今後大映には時代劇の撮影はさせないと通達が来た。大映が金閣寺を説得するも、なかなか承認を得られず、社長の永田雅一も困り果て「もうやめろ」と市川監督らに言い出すようになった。

すでに美術スタッフらは真面目な古建築研究者のふりをして寺を訪問し、内部写真をたくさん撮って調べていた。市川監督も京都の実景を撮り始めていたため、いまさらやめたくなく、直に老師を説得するため会いに行き、そこでの話し合いでタイトルを変えることと、寺の名前も「金閣寺」としないで、「炎上」という題名、寺名は驟閣寺ことでやっと了承を得た。その際、クレジットに「三島由紀夫の原作『金閣寺』より」と入れることは承諾された。このクレームや、後段で説明する配役変更で製作に入るのが予定よりも半年以上も遅れることとなった

あらすじ:

驟閣寺の徒弟・溝口吾市(21歳、小谷大学3年生)は、驟閣寺に放火した疑いにより取調室で調書を取られるが一言も発せず刑事らを手こずらせていた。溝口は小刀とカルチモンを所持し、胸には自殺しようとした刀傷があった。茫然とした様子の溝口は放火に至るまでの経緯を回想する……

7年前、舞鶴市成生岬の小寺の僧侶だった父・承道が亡くなり、父の遺言書により溝口は父の修行時代の友人・田山道詮老師が住職を務める驟閣寺に修行することとなった。驟閣寺の副司は溝口がやって来たことで後継が自分の息子でなく溝口になると考え面白くなく、溝口が吃音症だとわかると「なんや吃りか」と馬鹿にした。その言葉から溝口は、同級生たちに吃音をからかわれ、彼らが尊敬する海軍機関学校に進んだ先輩が持っていた美しい短剣の鞘に醜い傷をつけたことを思い出す。

しかしそんな溝口にも徒弟生活で鶴川という優しい友人が出来た。鶴川は溝口の吃音を全く気にしなかった。鶴川は東京山の手の寺の息子で、溝口同様に修行僧として住み込んでいた。戦争空襲下であったが、お経だけは吃らない溝口は、美しい驟閣の側で暮せるだけで満足し驟閣の中で死んでもいいと思っていた。だが溝口の母親・あきは、息子が驟閣寺の住職として出世することを望み、食料など手土産を持って老師に挨拶に来たりした。

溝口は母が厭わしくてならなかった。中学生の時、溝口は母が親戚の男と関係している現場を目撃してしまったことがあった。結核の持病で病弱な父も母の不貞を知っていて、その時そっと息子の目を覆った。父は日本海を望む岬に立ち、驟閣ほど美しいものはこの世にない、その美しさを見れば世の中の汚いもの醜いものは忘れられると息子に教えた。だが、その父が守っていた実家の寺も、抵当に入っていたため人手に渡ってしまったと母から告げられた。

戦争が終わり、やがて驟閣寺にも米兵も見学にやって来て俗世のみだらな風俗が群がるにいたった。敗戦から2年後、寺の副司も拝観料の金勘定に勤しんでいた。ある日、米兵と怒鳴り合っている派手な娼婦が驟閣の中に入ろうとするのを見た溝口は、驟閣が汚されると思い女を振り倒してしまった。腹痛に見舞われた女を見た米兵は溝口に礼を言い、煙草を2カートン渡した。娼婦は妊娠中らしかった。

溝口は煙草を老師に渡す時、女を倒した罪を告白しようとしたが言いそびれてしまった。その後、寺に流産した女がクレームを言いに来たらしく、老師が金で片をつけたようであった。溝口は老師に米兵の娼婦を突き飛ばした時の事情を話そうとするが、何も聞こうとしない老師に冷たくあしらわれてしまう。また、母・あきが炊事係として驟閣寺に住み込むようになる一方、友人の鶴川が母親の危篤で東京へ帰ってしまった。

小谷大学も休みがちになった溝口だが、同大学の学生で内反足の障害を持つ孤独な戸刈と友達になろうと近づき、「ドモれ、ドモれ」と叱咤された。溝口は、超越者をきどる戸刈と奇妙な友人関係を結ぶようになるが、戸刈は障害を逆手にとって高慢な令嬢の気を引く大胆な振舞いをして篭絡し、美人師匠も手なずけるような男であった。世の中がどんなに変わろうと驟閣寺は変わらないと言う溝口に、戸刈は永遠なものなどありはしないと反論する。

ある夜、学校をサボっていることを母親にうるさく説教されて外に飛び出した溝口は、夜の新京極繁華街で老師が芸妓と歩いているのを見かけた。溝口はすぐに路地に身を隠したが、じゃれる黒犬の跡を追ううちに、芸妓と車に乗り込もうとする老師とバッタリ会ってしまい、尾行していたと勘違いされてしまう。

鶴川が事故死したことも知り気落ちする溝口は、戸刈の下宿を訪ねるようになった。戸刈の吹く尺八の美しい音色に溝口は聴き入り、父親の形見だという1本の尺八を戸刈から貰った。戸刈は禅寺の息子であった。祇園の若い芸妓を囲っている老師の裏の顔を話すシニカルな戸刈は、老師の性根を試すため老師の嫌がることをわざとやってみろと溝口をけしかけた。

溝口が芸妓の写真を朝刊に挟んで老師に渡してみたが、無言で溝口の机に写真だけ返されていた。溝口は老師と直に対話を試みるが、老師は芸妓のことも、「知っておるのがどうした」と開き直り、「ゆくゆくは私の後継者にと考えていたが、今はもうその心づもりはない」とあしらった。

溝口は小刀とカルチモンを買い、戸刈から借金した金で故郷の舞鶴に向かい岬から裏日本海の荒れる海を見つめた。実家の寺の門をじっと眺めながら、溝口は父の柩を海岸で火葬した日の花に囲まれた父の死顔を思い出す。1人で宿屋にずっといる溝口を不審がった宿の内儀の通報により、溝口は警官に伴われて驟閣寺に戻って来た。そんな息子を母は泣きじゃくりながら「親不孝者」と詰り、自分ももう寺に居られず、お前のことも野垂れ死にしようがどうなろうと知らない、お前なんか産むんじゃなかった、と吐き捨てて行った。

偽悪的な戸刈が、溝口の借金の利子滞納を老師に言いつけに来た。老師は学生同士で利子は要らないと、元の借金分だけ全額肩代わりして戸刈に渡した。戸刈が帰ると、溝口は老師から貰った授業料を持って戸刈の下宿に立ち寄り利子分を払った。老師への反逆を褒める戸刈に対し溝口はそれを否定しながら、驟閣寺の美を食い物にしている者たちへの失望を語った後、五番町遊廓に行った。遊女に何もせず話だけし、驟閣がもし焼けたらビックリするかと溝口は訊いた。呑気な女は軽く受け流し、カレンダーの英語は吃らない溝口の声音を褒めたりした。

溝口が寺に帰ると、桑井善海が老師と歓談していた。善海和尚は溝口の父とも修行時代の友人であった。老師は善海和尚に溝口を紹介する時には体裁好く、よう修行に励んでおる、と嘘をついていた。妊娠した芸妓の使いからの電話で老師が席をはずしている間、溝口は善海和尚に「私の本心を見抜いてください」と詰め寄るが、善海和尚は、「見抜く必要はない。何も考えんのが一番いい考えだ」と答えた。

溝口は夜の驟閣寺を見つめながら、「俺のすることはたった一つ残っているだけや」「誰も分ってくれへんなあ」と呟く。一方、老師は驟閣の方にうずくまって跪き、何かを懺悔しているようであった。皆が寝静まった夜中、溝口は驟閣寺に放火した。メラメラと燃え上がる寺に驚いた老師は、「仏の裁きじゃ」と茫然とする。

溝口は汗だくで裏山の方へ駆け上り、苦しい息の中で夜空に舞う美しい驟閣の火の粉を見た。警察に逮捕されて現場検証に伴われた溝口は、燃えた後の驟閣寺の湖水に、美しかった驟閣の幻影を見て苦痛に満ちた表情で目を閉じた。

1年の刑が決まった溝口は手錠をはめられたまま刑事らに連行され、東京行きの汽車に乗った。その2か月前に溝口の母は鉄道自殺していた。汽車の中で黙って何かを思いつめた様子の溝口は、1人の刑事に伴われて便所に行く途中、突然連結部から飛び降りた。自動車で駆けつけた先ほどの刑事らが、線路わきでをかけられた溝口の遺体の方に歩いていく。

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