昨日のNHKの番組で、潜水艦伊400の海底に沈められたあわれな姿が紹介された。
わたしの若いころの職場に、2名の海軍技術将校あがりの先輩がいて、潜水艦の技術についてよく話をきいた。
九一式水上偵察機
イギリス海軍が採用したパーナル ペト(又はペイト)水偵を海軍航空技術廠が国産化した機体で、単座・複葉の双フロート機。本機は格納庫に分解して搭載、帰還後は収容となっているが、実際はそのまま放棄されることになったという。カタパルトの実験に使用されるなど、その後の機体や潜水艦の開発に貴重なデータを残している。
九六式小型水上偵察機
渡辺鉄工所(後の九州飛行機)潜水艦搭載用の小型水上偵察機。先の九一式が他機種からの転用に対し、本機は最初から試作・完成した機体である。複座・複葉の双フロート機。
零式小型水上偵察機
1937年(昭和12年)に海軍航空技術廠に対して試作を指令、1940年(昭和15年)に制式採用。同年に採用された愛知航空機の零式水上偵察機(三座)と区別する為、特に「小型」と呼称する。同機は潜水艦用水偵として初の単葉機でもある。
1942年(昭和17年)9月にはアメリカ本土空襲を実行した。以後、現在に至るまで、アメリカ本土を攻撃する事に成功した史上唯一の外国軍用機となっている。
潜水艦は誕生当時、単艦または少数の編成での通商破壊作戦等に運用されたが、単艦での索敵にはそもそも限界がある上、小型で背の低い潜水艦の視界は狭く索敵能力は水上艦に比べて低かった。
そこで索敵能力を強化する手段として、航空機を搭載することが研究された。
最初にイギリス海軍が実験し、後にアメリカ海軍やイタリア海軍も続き、フランス海軍は実用搭載可能な潜水艦を建造した。しかし、一般に小型な潜水艦への有力な水上機搭載は難しく、最終的に各国とも搭載は取りやめた。
例外的に、日本海軍は、潜水艦搭載偵察機を多用し、搭載可能な潜水艦を生産した。その背景には、日本海軍が漸減作戦の一環として「潜水艦による敵艦隊攻撃」を想定しており、潜水艦の索敵力強化を重視していたという事情があった。
なお、そのため潜水艦艦隊旗艦として、多数の偵察機を搭載した水上艦も計画している(のちの大淀)。
日本海軍の潜水艦搭載偵察機は太平洋戦争初期には要地偵察任務に活躍し、爆撃任務にも使用された。もっとも、洋上偵察任務にはほとんど使用できず、また、その小型機ゆえの劣性能は明らかで次第に使用されなくなった。
さらに偵察用を超えて当初から攻撃任務を想定した伊四〇〇型潜水艦と晴嵐まで建造したが、実戦で空襲を行うことはなかった。
米国海軍も、その大きさに驚いたとか。ハワイで、徹底に分解研究。後に米国海軍の原潜の元に。旧ソ連に情報が盗まれないうちに、深海に水没させました。
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