筥崎の一光寺には、近くに住んでいた吉岡禅寺洞の俳句碑が2基建てられている。
かれの生家は、九大箱崎キャンパスの南端と一光寺のあいだにあり、15歳まで、この家に祖父母と暮らしていた。
16歳で、今泉の父母の家にうつり、農耕のかたわら、「ホトトギス」の読者になり、俳壇で名声を博すようになったが、大正7年に、30歳で「天の川」を創刊し、口語俳句(575でも無く季語も無い自由律俳句)への革新的道をめざした。
彼の本名が、善次郎であったので、俳号名を禅寺洞と名乗ったそうだ。
吉岡家は、一光寺の檀徒であり、当時の光誉上人が文学的資質の高い人物で、寺の機関紙を創刊したり、地元作家の研究をしたりされた。
さらに吉岡禅寺洞の研究もすすめ、境内に2基の石碑を建立された。寺には、禅寺洞直筆の掛塾ものこされている。
福岡市冷泉公園は、かれの住居跡にちかいので、記念の俳句碑がある。
代表的な句に
こがねむしが眠っている 雲たちはパントマイム
ごきぶりのあわてよう おかしくもない夜です
季節の歯車を早くまわせ スイートピーをまいてくれ
一光寺~吉岡禅寺洞の句碑~ (urawa0328.babymilk.jp)
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