花鶴川河口地区は、土石流による扇状地帯で、海流と河流の力関係で、潟湖が出来やすい。
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花鶴川と古代遺跡 |
江戸時代中期までは、その大きさはかなり広かったと思われる。
古賀地区の漁港は、その花鶴浦に存在していた。そして朝鮮通信使への鯛を、鹿部池で保存していて、提供したという。
しかしその後の土砂堆積で、湊が使えなくなり、漁業権を福間のほうに渡したことは、衆知のとうりだ。
平成7年の国土地図には、まだ鹿部池が明確に記載されている。
美明住宅が出来る前の調査では、花鶴浦の発掘調査が試みられたが、確認はできなかった。
しかし文化財地区調査報告書Ⅳには、潟湖の想定ラインが記載されており、その南には鹿部池がある。
小字図では、潟湖の推定地区は堀川、鹿部池付近は池の端となっている。
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上が南 |
その南東地区には、浦口、永浦、井浦、糸浦、楠浦などの小字名が並んでいる。
地名からみれば、このあたりに漁民の居住地があったかも知れない。
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上が南 |
美明団地造成前の航空写真にも、鹿部池がはっきり写っている。古賀市10周年史の「うるわし」にも、古墳時代の鹿部周辺の地図がしっかりでている。
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