2021年8月16日月曜日

叔父戦死の碑

 わたしの最も身近な戦没者は母の一番年下の弟(叔父)である。海軍輸送機隊の隊長として活躍し、ボルネオ落下傘部隊を輸送したり、シンガポール、台湾、本土の間を往復していた。英国製のバッグや靴などの土産をくれていた。

写真はシンガポールのラッフルズホテル前でのスナップらしく、中央で軍刀をもっている。
19年2月に、五竜号で本土に向かう途中で被撃し、低空飛行で長崎までたどりついけれど、悪天候もあって島原半島をこえられずに墜落し戦死した。
現地に墓が建てられ、私がお参りした時の写真が右である。近くに同じ曹洞宗の禅寺があり、古賀市小山田の長勝禅寺と兄弟寺であったのも不思議な縁である。

墜落した飛行機の部品

わが家で唯一の敗戦の遺品。
戦死した叔父の飛行機が墜落した多良岳で、拾得した機体の一部。

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