2021年8月23日月曜日

アメリカの中東・アジア外交


フセイン大統領


1)大量破壊兵器を有するという疑惑で、2003年3月20日、アメリカは国連の同意が得られないまま、イギリスなどとともにイラク攻撃を開始した。フセインは核兵器など持っていないことを言い続けた。
徹底的な空爆と地上軍の侵攻により4月9日、首都バグダッドを制圧、フセイン体制は崩壊。アメリカは5月15日、戦闘終了を宣言した。
アメリカはフセイン大統領と大量破壊兵器の発見に全力を挙げた。
フセイン大統領は、この年12月拘束され、2006(平成18)年12月処刑された。
しかし、大量破壊兵器は発見されなかった。

カッザーフィ‣オバマ

2)イラク戦争の後、ジョージ・W・ブッシュ政権率いるアメリカなど西側諸国によって新たな攻撃対象にされるのを恐れてか、リビアのカッザーフィー2003年末には核放棄を宣言し、廃棄して査察団の受け入れを行った。

アメリカなどはこれらの対応を評価し、それまで行っていた経済制裁などを解除し、テロ国家指定から外す措置を取った。

2009年7月のラクイラサミットでは、夕食会の記念撮影の際にバラク・オバマ米大統領と握手を交し、国交正常化を印象付けた。

しかし、隣国チュニジアジャスミン革命の影響を受け、2011年2月、カッザーフィーの退陣を求める欧州の影響を受けた大規模な反政府デモが発生。

国民に対し徹底抗戦を呼びかけたが欧米を中心とした軍事介入と、欧州に援助された旧王党派などの反カッザーフィー派の蜂起を招き、2011年8月24日までにカッザーフィーは自身の居住区から撤退。反政府勢力により首都全土が制圧され、政権は事実上崩壊した

内戦が展開するなか、6月27日に国連安保理から付託を受けた国際刑事裁判所人道に対する罪を犯した疑いでカッザーフィーの逮捕状を請求した。

8月に事実上政権が崩壊した後も抗戦を続けたカッザーフィーだったが、9月21日には評議会軍が南部サブハを制圧、更に10月17日にバニワリドを制圧し、2011年10月20日、リビア国民評議会は旧政権派の最後の拠点であったスルト周辺でカッザーフィーが死亡したと発表した。


3)このようなアメリカ外交をみてきた北朝鮮は、核兵器を持たなくても、持っていても、欧米諸国の判断により、独裁者が抹殺されることを実感している。

中東諸国の幹部と密接に連絡をとっていることは、幹部会合の写真に、中東幹部が臨席していることからも明白である。


金書記長と同席する中東幹部

したがって隣国の中国の庇護が、同じ共産主義国家として最大の味方である。
南北境界線は、韓国のソウルから38Kmで、ソウル駅を東京都庁と同じ位置とすると、埼玉県の熊谷は、もう北朝鮮にはいるくらいの距離である。
かっての朝鮮戦争でも、初戦では一気にプサンまで南下した位だから、現在の中國と北の軍隊がうまく連携すれば、韓米日軍も完敗する可能性がある。

ソウル駅と境界線を東京地図に

4)米軍のアフガニスタン撤退と、中東・アジア外交の情勢がどのように変化するか、イスラムなど宗教がらみの問題もあるので複雑だが、日本の米国外交専門家の意見を聞きたいものだ。



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