フセイン大統領 |
カッザーフィ‣オバマ |
2)イラク戦争の後、ジョージ・W・ブッシュ政権率いるアメリカなど西側諸国によって新たな攻撃対象にされるのを恐れてか、リビアのカッザーフィーは2003年末には核放棄を宣言し、廃棄して査察団の受け入れを行った。
アメリカなどはこれらの対応を評価し、それまで行っていた経済制裁などを解除し、テロ国家指定から外す措置を取った。
2009年7月のラクイラサミットでは、夕食会の記念撮影の際にバラク・オバマ米大統領と握手を交し、国交正常化を印象付けた。
しかし、隣国チュニジアのジャスミン革命の影響を受け、2011年2月、カッザーフィーの退陣を求める欧州の影響を受けた大規模な反政府デモが発生。
国民に対し徹底抗戦を呼びかけたが欧米を中心とした軍事介入と、欧州に援助された旧王党派などの反カッザーフィー派の蜂起を招き、2011年8月24日までにカッザーフィーは自身の居住区から撤退。反政府勢力により首都全土が制圧され、政権は事実上崩壊した。
内戦が展開するなか、6月27日に国連安保理から付託を受けた国際刑事裁判所は人道に対する罪を犯した疑いでカッザーフィーの逮捕状を請求した。
8月に事実上政権が崩壊した後も抗戦を続けたカッザーフィーだったが、9月21日には評議会軍が南部サブハを制圧、更に10月17日にバニワリドを制圧し、2011年10月20日、リビア国民評議会は旧政権派の最後の拠点であったスルト周辺でカッザーフィーが死亡したと発表した。
3)このようなアメリカ外交をみてきた北朝鮮は、核兵器を持たなくても、持っていても、欧米諸国の判断により、独裁者が抹殺されることを実感している。
中東諸国の幹部と密接に連絡をとっていることは、幹部会合の写真に、中東幹部が臨席していることからも明白である。
金書記長と同席する中東幹部 |
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