2021年8月9日月曜日

安川家とその累世之墓

 福岡県福岡市中央区唐人町1-8-55の浄土真宗善龍寺」

は、亀井南冥の掛額のある寺で、ここに安川家累世之墓がある。

唐人町の東の黒門川に近い所には、妙心寺、浄慶寺、大円寺、正光寺があり、西の菰川沿いには善龍寺、成道寺、吉祥寺、妙心寺がある。

こうした寺院の集合は、黒田藩が行った一連の、都市防衛の措置であった。

石堂川西、那珂川東、博多の南、北の海岸部も、寺院で固められた。

安川敬一郎は、福岡藩士で儒学者の徳永省易の四男として、この唐人町に近い武家屋敷で生まれた。

だから安川家累世之墓がここにあるのは当然である。

しかし時代は幕末から明治維新で急変し、北九州地区での炭坑経営で成功し、安川財閥の創始者となった。

平岡浩太郎と炭鉱経営で懇意になり、玄洋社との縁ができて、頭山満とも知り合って玄洋社員となり、中国の孫文の支援活動なども頭山・平岡などと共に行った事などで有名だ。

松本健次郎と、明治専門学校を創設したり、息子の第五郎が創設した安川電機が発展したりで、北九州を舞台にした一族だから、福岡に墓地?と不思議に思う人もあろうが、ルーツは福岡であるから当然である。

安川第五郎は修猷館に学び、九州電力会長、1964年東京オリンピック組織委員会会長なども務めている。


唐人町時代の安川家は、下級武士の屋敷で、隣家とは低い垣根で仕切られており、親類、縁者が軒を連ねていたという。
徳永・幾島・安川・岡部の関係を私が調べた資料を示す。


私が直接お会いした人物は、安川第五郎、寛、直、敬二、定男、加寿子、清一、岡部進くらいである。
岡部家の墓は、聖福寺にあると聞いている。

1 件のコメント:

  1. 岡部千仭との関係をお教えくださらないでしょうか?

    返信削除