現代のアフガニスタンの政治史は、1709年にアフガニスタン南部の独立を宣言したミルワイス・ホタックを始祖とするホータキー朝に始まり、1747年、アフマド・シャー・ドゥッラーニーがカンダハールに首都を置くドゥッラーニー帝国を建国した。
1776年、ドゥラーニー帝国の首都はカブールに移され、ペシャーワルが冬の首都となったが、1823年、ペシャワールはシーク教徒に奪われた。
19世紀後半、アフガニスタンはイギリス帝国とロシア帝国の「グレート・ゲーム」の緩衝国となった。
20世紀後半に、ソ連が侵入し、米ソの冷戦下でソ連追放のためにタリバンの組織がつくられた。
ソ連が撤退した後、米國の後処理がおそまつだったので、ソ連軍への抵抗運動に参加していたウサーマ・ビン・ラーディンとその同志らによって結成された部隊がアルカイーダに変貌し、1998年のアメリカ大使館爆破事件、2001年のアメリカ同時多発テロ事件等、アメリカを標的とした数々のテロを実行した。
このような新しい組織の実現は、シュンペーターのいう新結合といわれている。
日本でも、尊王攘夷運動の高まりの中、生麦事件のもつれから、文久3年7月に薩摩藩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発。
薩英戦争に敗れた薩摩藩が軍備強化に総力をあげ、その戦力で戊辰戦争で勝利をおさめた。しかし新政府の士族対応が不十分だったため、いくつかの反乱があり、ついに大きな西南戦争となった。
人類の戦争を終わらせるには、勝者の論理だけでなく、軍隊の組織や兵士の処遇を適格に対応しなければならない。
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