大河ドラマ西郷どん(せごどん)で登場する数少ない皇族:中川宮・朝彦親王。
大河ドラマでは、薩長同盟・倒幕を目指し西郷吉之助らが奔走する中で、この朝彦親王は岩倉具視からは「曲者(クセモノ)」呼ばわりされて警戒されている。
岩倉具視の懸念どおり朝彦親王は一橋慶喜と裏で繋がっていて、一時的に吉之助を追い詰めることになるが、これはどうも確実な史実ではないようだ。
慶応3年王政復古の大号令によって倒幕派・尊王攘夷派の公家・三条実美、岩倉具視らが完全に力を取り戻すと、公武合体派だった朝彦親王は広島藩に預けられ政治の表舞台から姿を消したが、明治維新後に、謹慎を解かれて宮家の一員に復帰し、明治8年に、新たに久邇宮家を創設し、伊勢神宮の祭主に就任。神職を育成する数少ない大学、皇學館大学の創始するなど政治以外の部分で活躍し、明治24年に死去した。
中川宮は今の久邇宮であり、昭和天皇の皇后(香淳皇后) は、中川宮のお孫さんであり、また島津久光のお孫さんでもある。
そのあと、弟の秩父宮妃は松平容保の孫、高松宮妃は徳川慶喜の孫と、公武合体?が続いた。
0 件のコメント:
コメントを投稿