神社の格付けと一の宮会:
8世紀の日本の律令制では、太政官と並んで神祇官をおき、国家祭祀を司り全国の神社を統括することを目指した。
神祇官が直接出向く神社を官幣社とし、国司が出向く神社を国幣社とした。それを大社、中社、小社に分け、6階級に分類された。官幣大社が最高位で、国幣小社が最下位であった。
その一方で、朝廷は名神とよばれる特定の神社の奉幣を行うことがあり、祈雨、止雨、疫病退散などに霊験を発する神社には別途に神格を授けることがあり、また天皇の代替りに、神宝を奉納する神社が50社ほどになった。
神社の「一宮」という呼び名は、これらの名神を呼ぶ場合もあり、令制国の一宮を指すことも多い。「一宮」の選定基準を規定した文献資料は無いが、一宮には次のような一定の格式があるとしている。
原則的に令制国1国あたり1社を建前にし、祭神には国津神系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定された。
戦後、神社は国の管理でなくなり、官幣、国幣の格も取り消され、すべての格差は無くなったが、大社、小社、一宮などの名称は残っている。
過去に一宮とされた神社は、現在百拾社くらいが「全国一の宮会」を結成している。
現在、一宮巡拝を行っている人々の集りとして「一の宮巡拝会」が結成されており、「全国一の宮会」と連携して一宮巡拝普及のイベントを行っている。
九州では、15社が全国一の宮会に加入しており、箱崎宮と枚聞神社が支部長をつとめている。
この写真は、三つ巴の神紋のところは色が濃ゆくなっているが、もとは官幣の文字があったところだ。箱崎宮が官幣大社に昇格した時に、建てられた石碑である。
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