2021年12月21日火曜日

風の名前・風の四季

 『風の名前』高橋順子(文)、佐藤秀明(写真)、小学館より(浦辺登氏の記事)

・都会にはビル風がある
 本書を読みながら、つくづく、語彙力の低さを認識させられる。反面、狭い日本といいながら、日本語はなんと繊細で広大なのだろうと感心する。
英語でいえば単純にWindで済むものが、季節や地域、使用する人の気持によってこれほど変化する言語を有する国がどこにあるだろうか。
 
 この本の表紙にはウサギのイラストが描かれていて、なんともチャーミング。だが、何故にウサギなのかと訝る。しかしながら、本書の68、69ページにその答えが出ていて、なるほど、なるほどと納得。風水思想における荒ぶる龍虎の間にあって、中和の役を果たすのがウサギ。




現代の日本人はアメリカンナイズされた合理性を尊ぶかと思えば、旧来の幸せを願うまじないをありがたがる。その古代の日本人の生活に染み込んでいた生活習慣が蘇ることに不思議を感じていたが、この本のページをめくっていると合理性を尊ぶのは都会だけであって、自然の中で生活する日本人は相変わらず昔の日本人そのままなのではということに安堵する。

自然のなかで季節の風に身をさらせば、風水という風のまじないは、日常生活において朝の洗願と同じ感覚なのだろう。
 おもしろいのは、この「風」という主題の日本語のなかで「ビル風」などという都会にしか吹かない風は出ていないだろうと思ったら、ちゃんと出ていた。
《言水(ごんすい)も荷兮(かけい)も知らぬビルの風》
 この一句は秀逸だ。確かに、俳人の言水も荷兮もビル風は知らんよな。

個人的な印象で申し訳ないが、風の名前で最初に思い出されるのは、菅原道真公が詠んだ《東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ》である。
《初夏の 初夏の風になりたや》という恋の詩もあったが、日本人ならば胸の奥がキュンとなるのでは。
そして、古人の《秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる》ただただ、「うまい!」と感嘆の声をあげるしかない。

この一冊をめくっていると、「風」という目には見えないものの、体感できるものに対しての日本人の感覚の鋭さに感心する。
春夏秋冬、東西南北、日本にこれだけの風の名前があったのかと驚かされる。
英語教育も大切だけど、これほど素晴らしい言語を有する民族であることを教師たちは生徒に教えているのだろうか。少々、不安になった。

「風の名前 風の四季」 半藤一利・荒川博 平凡社新書 より

春の風: あい・あごきた・あぶらかぜ・こち・たばかぜ・はやて・はるいちば  ん・はるかぜ

夏の風:あかしまぜ・あさなぎ・あらし・あらはえ・いなさ・かむかぜ・くんぷう・こうじゃくふう・しらはえ・たいふう・だし・とうせんぼう・やませ

秋の風:かぜたつ・すずかぜ・にひゃくとうか・のわき

冬の風:あなじ・おろし・きたふき・こがらし・しまき・せちこち・つくばおろし・にし・にはんにし・ふぶき・もがりぶえ


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