ゴルバチョフが共産党支配下にあった東ドイツの自由化を促進した結果、ベルリンの壁は崩壊したのでしょうか。ゴルバチョフがソ連共産党とソ連邦を崩壊させたのでしょうか。
私は全く違うと思います。あらかじめ共産党独裁による支配体制は、内部から崩壊していたのです。
共産党秘密警察のシュタージによって監視され、統制され、相互監視と密告によって支配されていた旧東ドイツの共産主義体制は、ナチ体制とスターリン主義のアマルガムであり、極めて全体主義的な民衆抑圧体制でした。東欧社会主義国家は、ことごとく全体主義体制でした。
民衆を抑圧し、収奪して特権的身分支配を制度化していた共産党支配層・ノメンクラツーラの腐敗と圧政は、恐怖と威圧に抗い高揚した民主化運動と民衆決起によって打ち倒されたのだと、ポーランドと旧東ドイツで少なくない人たちから私自身、直接聴き取りをしました。
ゴルバチョフが、米ソ冷戦を終わらせたのは歴史の一側面であり、冷戦の持続によって共産党支配層が、人びと存在根拠を得ていることを、抑圧された民衆が許さないからこそ、ソ連共産党独裁が内部崩壊した結果、冷戦の終結と言われた激変が起きたのです。
東ドイツ、そして東欧、ソ連の共産党独裁の社会主義国家は、民主化運動によって打ち倒されて崩壊したのであり、アメリカ国家とNATOによって倒されたのではありません。
今日のウクライナ侵略を擁護して侵略されたウクライナにも責任があるなどという被抑圧者を攻撃する暴虐には、こうした源流があります。
東欧およびソ連社会主義は、アメリカとNATOによって崩壊させられたなどという東欧およびソ連の人びとの歴史を知らない暴論は、長期間にわたり過酷な弾圧という苦難の中で民主化運動を持続してきた、東欧およびソ連の人びとに対してあまりにも無礼です。
一種の人種的優越思想に通じる差別思想の現れです。かつての東欧およびソ連社会主義国家の崩壊が西側による工作で倒されたと思い込む一部の左派の致命的陥穽は、ベルリンの壁の崩壊以前から、東ドイツおよび東欧、ソ連の社会主義国家の社会主義そして共産主義が、支配の内側から崩壊していた歴史を見ようともしないのです。
共産党が秘密警察と亡命者を射殺して守ろうとした壁の内にある現実に存在した社会主義国家が、内部から腐り切り、革命後に形成された、より強大なプロレタリア階級独裁の名の下で創出された国家が強制収容所化した、共産主義的抑圧体制の崩壊の象徴でした。
今では、ポツダム広場に展示された壁の残滓は観光スポット化し、心ない観光客によってガムが張り付けられ、Vサインで記念写真を撮っている惨状です。一体誰が誰に勝利したのでしょうか。ポーランドにいた時に、ポーランドは冷戦に負けてロシアの代わりに、メルセデスベンツに占領されたんだというような、自嘲的な言い方を何度か聞いたことがあります。
ベルリンの壁が崩壊したというステロタイプは、事実と全く異なる歴史認識をもたらしました。ベルリンの壁が象徴していた東ドイツ、およびソ連の共産党独裁が崩壊したのです。
ゴルバチョフがソ連を崩壊させたという歴史認識は、後付けの都合良い謬論です。現実にはロシアではゴルバチョフがソ連を崩壊させたと考える人びとが多数派だと言われています。日本の左派の中にもゴルバチョフがソ連共産党を解体させ、社会主義国家としてのソ連を解体させたと思い込んでいる人たちがいます。
私が何度も訪れたポーランドや旧東ドイツでは、そんな考え方は甘いと言っている友がいます。ゴルバチョフのグラスノチとペレストイカが社会主義国家を崩壊させたなどと言い、反共主義に反対だなどと相も変わらず1950年代の思考のままでは、共産党独裁の支配層であるノメンクラツーラの犯罪性を何も考えないことになりかねません。ドイツにも見えない壁は依然として存在します。格差や貧困の増大は見えない壁どころか、共産主義の圧政を思い起すほど重厚な壁そのものです。
独り勝ちとも言えるドイツのヨーロッパにおける覇権の拡大は、ナチが軍事的に出来なかったことを資本の力で成し遂げたと言っても間違いではないでしょう。日本人に言われたくないと言われそうな話ではありますが、ガムだらけになった壁が「おれのことを甘く考えるなよ」と呟いているのが聴こえたような気がしました。
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